長崎→メルボルン航海日誌 [沖縄、パラオ、パプア・ニュー・ギニア] Next BBS TOP

2003年 1月29日■ パプアニューギニア、マダン港停泊中
昨夜はかなり雨が降った。バケツをデッキに出しておいたら朝までに雨水が10センチもたまっていた。今こちらは雨季で、今日も時々降っている。ところでスコールというのは英語のはずだが、こちらでスコールと言っても通じない。レインしか通じないのはなぜだろう。

昨日からホテルの桟橋にもやっていたが、5時半ごろホテルの観光船が戻ってきたので、いったん桟橋を離れてその観光船にだかせてもらっている。デスカバリーというカタマランの大きな船だ。

港内をたくさんの小船が行き交っている。周辺の島々に住む人達が乗客らしい。日本の漁港で見かけるような、いわゆる天馬船に十人以上の人達が乗っている。日本なら当然定員オーバーになるところだ。船着場はあちこちにあるが、別に標識が立っているわけではない。多分、何とか島へ行く船はこことかみんなが知っていて、待って居れぱばそのうち船が来るということになっているのだろう。

 



2003年 1月28日■ 南緯5度12分北緯145度48分 パプアニューギニア、マダン港停泊中

昨日17時(現地時間)マダン入港。

小さな島が陸地にそって点在する海を南下して港への入口を見つけなければならなかった。海図によると、うっかり島々の間から陸へ近づくとリーフの浅瀬に迷い込むことになる。運良く、大型の漁船が港へ入っていくのが見えたので航路が簡単にみつけられた。

灯台、灯標はパラオよりしっかりしたものが立てられていた。VHFでハーバーコントロールを呼んだが、まったく応答がなかった。

大勢の人を乗せた小船船が行き交う港内をまわって泊められそうな所をさがした。まずはホテルのように見えた三階建ての建物の近くにとめていた船に了解をとったうえでつながせてもらった。建物がホテルではなかったうえに水深が浅かったので近くにあった税関の岸壁へ移動した。
すぐに門衛が来て税関職員に連絡するから待っているように言われた。
21時ごろまで待たされて、ようやく職員たちがやって来た。

税関の職員が帰宅してしまい連絡がつかなかったので
門衛の青年が警察に連絡し、警察官がパトカーで税関職員の家まで行って職員を連れてくるというおおげさなことになってしまった。狭い船内に5人もの巨漢たちが入りこみ、書類の作成や船内のチェックをするのだから、ただでさえ暑い船内はサウナ状態だった。暑いのは自分達だけかと思ったが、彼らも汗だくになっていた。このおかげで上陸が許され、揺れないベットでゆっくり休めた。

パラオからの航海はスコール雲に追いかけられてずぶ濡れにされることもあり、昼は暑く夜は寒いという、これまで抱いていた赤道直下のセーリングのイメージとは遠いものだった。

入港の5時間くらい前にオートパイロットの油圧シリンダーが動かなくなった。
入港後調べてみるとオイルが漏れていた。オーストラリア人のエンジニアに来てもらい取り外して修理を始めた。


2003年 1月27日 ■ 8時南緯4度36分 東経145度39分


武田くんも元気です

夜間はスコールにあうこともなく西よりの風に恵まれてよく走った。
島を避けるため2回ジャイブした。 7時ごろ、小型プロペラ機がさらくのまわりを低空で数回旋回した。

ローカル路線に飛ぶアイランダー機のようだった。 まもなく大きな島とパプアニューギニア本土の間にある水道を通りマダンへと針路を南へ向ける。 午後には入港できるだろう。



2003年 1月26日 ■ 16時半南緯3度35分 東経144度41分


パプアニューギニア北岸の島

晴れてはいるが雲が多く風が10mくらい吹き続けている。
午前中、パプアニューギニア本土が見えてきた。 
夜はスコール雲においかけられては吹かれたり、ずぶ濡れにされたりの連続だ。 昨日の未明は2時から武田くんのワッチで、ちょうどスコールの中に入り 彼の担当時間の3時間は降りつづけずぶ濡れになっていた。 赤道直下とはいっても、吹きさらしのコックピットで夜間、ヘルムを取り続けている と肌寒さを感じる。 おまけに濡れてしまうとなおさら寒さがつのる。 合羽を着ていても袖口や首まわりから入ってくる雨はどうしようもない。
今は小さな島が点在するところを走っている。 夜だとナビゲーションがむつかしいので昼間に通れて良かった。 しかし、行きたい方向の真後ろから風が吹いているので走りにくい。
マダンへは明日中に着きたいがどうなるか。



2003年 1月24日 14時44分 赤道通過

昨日午後から北よりの風に恵まれ、正午までのデーランは125マイル。赤道無風帯とはいっても2〜3mの風は吹いた。それにスコールの雲に近づくと10mくらいの風が1時間くらい吹くこともあった。


赤道の海ではしゃぐ筆者

明け方、そんな風に2ポンリーフを入れたらすぐに風が落ちた。1ポンリーフにするとスコールが降ってきたのでシャワーがわりに浴びることができた。思いきり真水を浴びることができるなんて、遠洋航海中のヨットではこんな機会しかない。うまいぐあいに、1ポンリーフしてブームの上にたたんであったセール部分に雨水がたまったのでバケツに入れたら2杯分あった。沸かして飲み水にしたり洗い物に使った。
午後になってジリジリ照りつける太陽の下を走り赤道に到達した。記念に海に飛びこんでみようと思っていたが、風があってヨットに追いつけなくなる可能性があるのでスターンのハシゴにつかまって泳ぐだけにした。水中で目をあけてみると、赤道の水はどこまでも青かった。武田くんは記念写真もいらないと言い、いつものように水浴びだけしていた。クールな人である。



2003年 1月23日 ■ 北緯3度から2度を通過
この日だけで漁船らしき船七八隻を見た。こんなに船の密度が濃い海域は今回の航海中初めてだ。
マグロ漁船だろうか。

2003年 1月22日 13時 北緯2度52分 東経138度44分 赤道近し
昨晩20時ごろから北北東、5メートルくらいの風が12時間くらい吹き続けてくれたおかげでデーランが150マイルまでいった。

このところ、あまり風がなかったので、昨日はこの航海では初めてメインセールを全部あげた。ジブファーラーも全部展開し、夜もそのまま走った。波は小さく海流にも乗って夜間は7ノットくらいで走り続けた。今日は曇り空、赤道も近いというのに涼しく船内もしのぎやすい。

昨日は午後、風が落ちたのでジブセールを降ろして破れたところを武田くんが縫った。スプレッダ−に引っかかって破れるので、僕がマストに登って布とテープを巻いてきた。以前からやりたかったのだが、船底修理で忙しくできなかったことだ。

パラオのラジオ放送がとうとう聞こえなくなった。日本の歌も流してくれるので毎日聞いていた。やや古い歌謡曲が多いが「長崎は今日も雨だった」を2回聞けたし、山下達郎の歌も流れた。



2003年 1月20日 7時半 北緯6度10分 東経135度25分 パラオから南東約80マイル
昨日11時パラオ出港。

門多さん夫妻と珊瑚研究者のおかじさんがモーターボートで東水道出口まで見送ってくれた。西水道にくらべれば距離が短く灯標もわかりやすく立てられているので抜けるのは簡単だった。
門多さん夫妻には本当にお世話になりました。ありがとうございます。


門多さん夫妻、おかじさんとSam's pierにて

出港前にマラカル港管理局税関イミグレーションの役人が船に来た。必要な書類や入国の際に支払ったお金の領収証をチェックするためだ。一通り終ったところで税関の役人が「今日は日曜だから特別な費用が必要だ。20ドル支払いなさい。」ときた。これは本来の規則にそった要求か、それとも自分のフトコロに入れるつもりの要求なのか。では領収証は書けるか、と訊くとOKと言うのでメモ用紙を渡すと金額、名前、年月日を書いた。よくは判らないが、仕方ないので20ドル渡した。名字から察するに彼は日系であった。

東水道を出てしばらくはリーフの中を走った。水深が50m位から徐々に浅くなり15m位になった後水深計の数字が消えた。リーフから出て外洋に出た証拠である。この島の周りは数千メートルの深海に囲まれているのだ。

東よりの風2〜3m、機帆走で一晩中走った。うねりはあるが長周期で穏やかなものだ。

これからは昼間のオートパイロット使用時間を短くして夜間もオートパイロットが使えるようにバッテリーに蓄電する。夜のワッチを3時間交替にする。

今、沖縄を出て以来初めてスタボードタックで走っている。
風は南南西から4mくらい。赤道まで500マイルだ。


2003年 1月18日 ひきつづきパラオ、Sam's pierに停泊中。

サムズピアからの夕景

風が弱かったのでジブファーラーを降ろして破れた箇所を補修。水と軽油の補給もした。ポリタンクを何回も運んで汗をかいた。
明日の出港に備えて生鮮食品などの買物をした。
何を買うかは食事をつくるのを得意にしている武田くんがほとんどを決めた。

スタンドに頼んだバッテリーの充電は結局6時間近くかかった。これでまた使えるようにはなったが、消耗しないよう注意して使わないといけない。
オートパイロットは、コンピュターが電気を消耗するようなので2個のバッテリーの使い分けを考え直す必要がありそうだ。

グアムの近辺に台風1号が発生したそうだがこちらには影響がなさそうなので、明日午前にパプアニューギニアへ向けて出航の予定。今日は夕焼けがきれいだった。

 
2003年 1月17日 バラオ滞在中

マラカル港の隣にあるヨットハーバー、サムズピア

門多さんに車を貸してもらい、島を見て回った。狭い島だが車がけっこう走っている。右側通行だが、車はほとんどが右ハンドルの日本車ばかり。

スキューバダイビングにも行った。小さな島がいっぱいあるなかをポイントまでモーターボートで1時間ちかくも突っ走って行った。ひさしぶりのドロップオフでのダイビングができた。

ヨットは食料品の整理や掃除。
バッテリーをチェックしたら2個のうち1個がリチャージが必要なほどダウンしていた。エンジンを2時間回しても充電できないのでガソリンスタンドへ持っていき頼んできた。オルタネーターの能力を調べる必要もありそうだ。


2003年 1月15日 パラオ着
一晩中、北北東の風が10〜15メートル吹き続けたおかげで平均6ノット以上で走り、11時ごろパラオ西水道に入った。水道両側に沈船があると聞いていたが向かって左側は巨大なバージ船で砂のようなものを積んだまま座礁している。右側には船の形を残したままの座礁船がリーフ上に鎮座している。


9日ぶりに見た陸地、パラオ

水道の標識は最初のうちは目視できる間隔で並んでいるからいいが入って行くに従って間隔が長くなり番号も付いていないので判りにくい。一度、うっかり浅い方へ入り込みそうになった。

15時、マラカル港のコンテナ埠頭に接岸。VHFで連絡しておいたのでポートコントロール、税関、入管、検疫の役人たちが待ち構えていた。税関と入管に計150ドルの支払いが必要。

近くにある小さなハーバーへ移動しどこに泊めるかウロウロしていたら手招きしてくれた人たちがいたのでその人たちのヨットに着けさせてもらった。そのヨットはジョンというアメリカ人のチャーターヨットだった。

以前からメールで連絡を取っていたパラオ在住の門多さんをジョンも知っていて我々の到着を電話で知らせてくれた。そのおかげで、すぐに門多さんに来てもらって、いろんな手配をしていただいた。

船は楽に泊められたし、ハーバーで久しぶりのビールは飲めたし言うことはない。
一晩中、早く着こうと二人で2時間交替でヘルムを取りつづけてきた甲斐があったというものだ。


2003年 1月14日 17時半 北緯9度19分 東経133度42分 バラオまで116マイル
昨夜は雨が降り風が落ちて冷たくつらいワッチだった。4時間交替でワッチしていたのを夜間は3時間にした。
朝から風があがりファーラーを開いて午後まで快走。 スプレーを浴びた。
いつも揺れているので食事をつくるのも大変。 武田くんがいろいろ工夫して作っている。

塩漬け肉を使った特製トン汁

2003年 1月13日 14時の位置 北緯11度36分 東経132度34分
あいかわらず北北東の風が吹いている。風速は7〜10m。昨日は波もなく快晴でこの航海始まって以来の上天気だった。デッキで水温28度の海水を浴びて、しあげに船のタンクの真水をチョチョっと体にかける水浴びをした。陽射しは強く気持ち良かった。ついでに洗濯もした。
夜中になってから波が出始めた。真横からの波に船腹をたたかれるので今日は走りづらい。昨日12時からのデーランは140マイル。パラオまで270マイル、このペースで行けば15日には着けそうだ。

2003年 1月11日 北緯15度55分 東経131度19分フィリピンの東方沖、約1000キロ
今回の航海中、初めての凪。5日間吹きつづけていた北北東の風がおさまり今日は南東から3〜4メートルの風。うねりもなくなり船内の揺れがなくなって快適になった。セールを2ポンにし、ジブファーラーを100%広げて4ノットで走っている。
この海域は航路から離れているらしく、昨夜1時ごろ、北上する本船の航海灯を1マイル西に見たのが初めて。あとは時々、鳥が飛んでくるだけだ。夜間、オートパイロットが働かないので、ずっと操船しなければならない。夜の雨は冷たい。日が昇ってから晴れたので濡れた合羽を干している。餅入りトン汁の昼食のあと、しばし日向ぼっこをした。こんなにのんびりできたのは初めてだ。

2003年 1月10日 ■ 
この3日間、北北東の風が10m前後吹きつづけている。おかげで船足は伸びる。しかし、ウネリもあり船内の揺れはおさまらない。今日は気温30度、晴れ、海水を浴びて髪も洗いサッパリした。昼は野菜たっぷりの中華丼を武田くんがつくった。オートパイロットのモーターのヒューズが切れたので取り替えた。このところのオーバーロードが原因だろう。

2003年 1月 8日20時、北緯21度35分 東経129度14分
昨日は夕方からシケになり一晩中、2人で操船した。オートパイロットが大晦日の夜から働かなくなったので沖縄を出てからは、ショックコードをラット(舵輪)に結んで多少の時間は手をラットから離していてもいいようにしていたが強風下ではどうしようもない。風が数メートルから15メートルくらいまで変化しどしゃぶりの雨と海をかきまわしたような三角波。これが一晩中続いた。昨日の朝、受信した天気図で台湾の南に低気圧が発生して北東へ進んでくることはわかっていたが、移動速度が10ノットと表示されていたのでこちらが速く南下してしまえば心配ないと思っていた。しかし、移動速度を速めて東進して来たようでその寒冷前線の真っ只中に入ってしまった。何の前触れもなく突風を3発くらった。ガツーンとパンチを食らったような感じで船が大きく傾いた。南へ一生懸命に走って前線から抜けようとしたが25ノットで移動してくる前線にすぐ追いつかれ風波と雨の攻撃を朝まで受け続けた。ようやく海がいくらか静かになったのは7時ごろ。二人ともヘトヘトになっていた。しかし、午前中から天気が回復し北北東からの順風で快調に走っている。おまけにオートパイロットが働くようになったので楽になった。用心してストームジブと3ポンリーフのメインにしているが6ノットから8ノットで航行中。

2003年 1月 6日 

10時半に宜野湾港から出港した。
3日から吹き荒れていた風もようやくおさまった。ウネリはまだあるが風が北から東より、風速4〜5mくらい。オートパイロットのコンパスセンサーが最初働かなかったが、出港してから5時間くらい経ったところでようやく働くようになった。18時現在、沖縄の南約20マイルを針路165度でパラオへ向け5ノットで機帆走中。予報によると前方に低気圧が発生するとのことなので用心して進む。
 


2003年 1月 5日
今日もシケのため出航せず。気圧が1031まであがるが高気圧のへりにあたる沖縄では北北東の風が10m以上吹きつづけている。予報では明日はいくらか風、波ともおさまるとのことなので出航のチャンスがあると期待して野菜、果物などを買いこむ。

2003年 1月 4日
海上強風警報が出され時化ているので出航しなかった。
午前、入管職員の人が船まで出国審査に来てくれた。
税関や入管、検疫の手続きは、思っていたより簡単にできた。
その後、僕はバスを乗り継いで糸満の平和祈念公園へ、武田くんは那覇へ友達に会いに出かけた。僕は途中で散髪もできてスッキリ。

2003年 1月 2日
元旦の未明、沖縄県残波岬沖に到達。大晦日から北西の風が15mまで吹くようになり波も大きくなる中を徳之島沖でジャイブしてから一直線に伊江水道めざして走ってきた。
艇速は7ノット以上出たが、四六時中波に揉まれどおしだった。
オートパイロットが突然働かなくなり波が船内まで打ちこんで来たりして、ちょっと大変だった。伊江水道では、中之瀬にあるはずの灯標がなかったりしてあやうく座礁しかけた。
雲の間に一瞬見えた初日の出に航海の安全を祈った。
明るくなるのを待って、宜野湾港マリーナに入ったのは8時過ぎ。
ポンツーンが一杯で、付ける場所を探していたら居合わせた人が北側の岸壁に留めたらいいと教えてくれ舫いまで取ってくれた。
おまけに軽油を買うため開いているスタンドまで車に乗せていってもらった。
ヤマシロさんという方、ありがとうございました。
料理が得意なクルー・武田君が味噌汁と干物の朝飯をつくり腹がふくれたら二人ともバースに倒れこむようにして昼過ぎまで眠った。
「沖縄でヨットの中の寝正月」

マリーナ近くの宿泊施設に泊まり、2日はヨットの整備と税関での手続きをすませた。海保を訪ねて今回の航海のことを連絡した。
国際通りには明るい陽射し、アイスクリームを食べながら歩いていると南に来たことをようやく感じた。持ってくるのを忘れた短パン、帽子などを買った。
4日に出航の予定。

2002年12月29日
スタンチューブの修理を終えて長崎サンセットマリーナを出航。
北西の風、7メートル前後。甑島の西を夜中に通り、デイラン150マイル。
船、乗員とも異常なし。那覇へ向けて走っています。

当ページは神田氏からのインマルサットによるメールをもとに\Kama(JG6JAV)が編集更新を行っています。

SALAKU HOME PAGE

Tasaki OSAKA CUP 2003