長崎→メルボルン航海日誌 Past Next BBS TOP

2003年 3月14日 メルボルン サンドリンガムマリーナ 

レース参加艇に課せられている様々な安全基準をチェックするレース委員会のインスペクションの準備に忙しくメールを送る時間もない。

さらくで一番問題になっているのは、規定の復元力消失角度115度にわずか2度弱だが数字が届かないこと。アメリカのデザイナーからアドバイスのEメールをもらい、どのような改造をする必要があるのか検討中。

ポートフィリップ湾内で行われる第一レグのスタートは明日だが、さらくはレイトスタートになるだろう。


2003年 3月 9日 メルボルン サンドリンガムマリーナで上架中


さらくを上架(3/7)

日に上架して船底を調べたがクラックなどなくホッとした。昨年8月バラストで船体を支えると船底がペコペコとへこんでいた。FRPの剥離が原因であることをつきとめて修理に修理を重ねてきた。ここまでしっかりした船にすることができたのも長崎でアドバイスしてくれた人や修理してくれた人達のお蔭だ。


集結したレース参加艇

自分達でできる範囲の修理やレースのインスペクションに備える準備で忙しい。それでも昨晩は気分を変えに街へ出かけた。

レース出場艇が港に集結しイベントが行われていた。レースに参加する青山さんや鈴木さんたちとも会え花火大会を楽しんだ。遅くなったので鈴木さんのルルに泊めてもらった。


今メルボルンはF1レース開催中で賑やかだ。


2003年 3月 7日 メルボルン サンドリンガムヨットクラブ 停泊中
昨日JST14時オーストラリア東部標準時16時にメルボルン、サンドリンガムヨットクラブに到着した。
夜間入港をやめて明るくなるのを湾口で待ったため逆潮になり時間がかかったが着けてよかった。
ナニワの青山さんやルルの鈴木さんらが出迎えてくれた。


フィリップ湾口の潮流(6日撮影)

長崎を出てから2ヶ月ちょっとかかったが大きな経験を積むことができた。

レースのスタートは15日、修理や整備を急ピッチでしなければいけない。
今、水タンクの修理のため業者が来たので詳しくは後日の報告としたいがこれまで声援を送ってくださったみなさん、ありがとうございます。
引き続きご声援お願いします。

これでようやくレースのスタートラインに立てる見こみが立った。


2003年 3月 5日 JST17時 南緯38度47分 東経145度21分 快晴 南南東の風風力3


サウスイーストポイント

こちらの時間(JST+2時間)で7時にアザラシの入り江を出航しオーストラリア大陸の最南東端、サウスイーストポイント岬へ向かった。

天気は回復し7〜8mの風、波も穏やか。数日前の海と同じ海とは思えないほどだった。急峻な山が海に落ち込む岬は日本のあちこちにある岬の地形と似ていた。


海のエアーズロック?

しかし、まわりの島を見ると写真のようなものもありこんなのは日本では見られないだろう。

午後からはひさしぶりにフルメイン、フルジブで帆走したが、現在は1ポンリーフメインでコンパスコース280度へ6.5ノットで帆走中。メルボルンまでの距離は70マイルくらいだ。明日早朝にはメルボルンのあるポートフィリップ湾口に到達予定。目下の悩みは速く着きすぎると潮止まりの時間には早すぎるのと、暗い中セクターライトなどを見分けながら湾内に進入することになると少々大変だということ。


2003年 3月 4日 アザラシの入り江に錨泊中 曇り時々霧雨 気温20度


餌をねだりに来た海鳥

長崎を出て以来の疲れとバス海峡の波風にいたぶられた疲労をとろうと、二人とも錨泊したさらくで体を休めている。

この入り江は波もなく穏やかだ。錨泊を始めてまもなく茶色のビニール袋のようなものが船の近くに浮かんでいるので、懐中電灯を照らしてみるとアザラシだった。小さかったので子供だろうか。

この入り江はSealers Coveと呼ばれているが、直訳すれば「アザラシ獲りの入り江」となる。今日はペンギンが1羽、近くまで来た。カモメも寄ってくる。


バス海峡は甘くなかった。波の谷間に突き落とされながら、全身に波をかぶった。ヨット用の合羽を着ていても水圧で海水が入ってきた。ヨットはあちこちから雨漏りし、船内はメチャクチャ。


アイアム、バス海峡の漁師

修理したばかりの航海灯がまた点灯しなくなったり、スターンの水タンクが固定していた台からはずれていた。そのままにしているとラダーなどに影響しかねないので、今日はその水タンクを空にするため洗髪したりシャワーを使ったりした。水はまだ左舷側のタンクが健在なので十分にある。ここにきて海の厳しさを思い知らされた。

午後、漁師さんが我々の様子を見に来た。近くの「避難の入り江」(Refuge Cove)には数隻のヨットが錨泊中だという。この海域の天気予報が聞けるVHFのチャンネルと時間を教えてくれた。こちらもシドニーで情報は入手してはいたがありがたい。天気図によると高気圧の張りだしで風波ともおさまりそうなので明日早朝に出航することにした。メルボルンまでおよそ100マイルの距離だ。


2003年 3月 3日 南緯39度00度 東経146度26分 曇り 気温25度
バス海峡から10マイルほど北東にあるアラザシの入り江という所に昨夜から錨泊中。


バス海峡通過中(3/2)
ひどい目にあいました

28日にバス海峡にとりついてから荒天が続き、昨日はバス海峡突破を断念してここに避難することにした。

風速10〜15m、時々20mの突風が行きたい方向から吹いてその上5mくらいの切り立った波が次から次へと向かってくる。ここの波は三角波とも違うが、風と潮流が作り出す独特の掘れた波だ。

3ポンリーフしていてもスピードがついてしまい切り立った波の向こう側に突き落とされる。そのたびに船内はガッシャーン、ドッカーンの連続で船が壊れてしまうのではないかと気が気ではないがどうしようもない。

1日の夜はストームジブ1枚で船をゆっくり走らせて体を休め2日中のバス海峡突破を目指した。


アザラシの入り江に打ち上げられたヨット

比較的波が小さい沿岸よりに船を走らせながら海峡に近づいたが、近づけば近づくほど波風が強まりどうしようない。結局夕方に突破を断念してブランケットになっていると思われる半島の東側にある
入り江で錨泊することにした。アンカーが走り4回目でようやく船を止める事ができた。

もう日付が変わっていたが、とにかくゆっくり休めることができた。
この二日間でクタクタになって今日は二人とも11時ごろまで寝ていた。

しばらくは天候の回復をここで待つことにする。


2003年 2月28日 JST12時 南緯38度15分 東経149度09分

今朝、バス海峡に入った。南西の風10m、波高1〜2メートルで行きたい方向から来るので船底を波にバンバンたたかれている。20度以上のヒールでパソコンを操作するのも大変だ。天気図によると寒冷前線の下にいるようで、この風の傾向はメルボルンまで続きそう。水温は20度まで下がっている所もある。赤道付近では31度あったから大変な違いだ。気温は22度くらいまで下がった。

シドニーでメインセールも新しいものにした。ダクロン製だが、しばらくはツルツルして扱いにくそう。セールを新調したのは今回が初めて。大事に使いたい。

長崎を出航してから今日で2ヶ月になった。最後まで気を抜かずに行きたい。


2003年 2月25日 シドニー停泊中
午前中にオートパイロットメーカー代理店のエンジニアのマットが来て、油圧シリンダーを新しいものと交換した。テスト走行もしてこれで大丈夫だろうということになった。このメーカーはB&Gといってイギリスの会社だが、このマリーナではさらくのまわりのヨットは、ほとんどこのメーカーのものを使っている。マットは新しいソフトのインストールもしてくれて良くやってくれたが午後もこのマリーナで仕事をしていた。別にこのメーカーの製品にトラブルが多いと言うわけでもないのだろうが忙しそうだった。使い始めて1年もたっていないのに故障した製品は初めてだと言っていた。ハイテク製品とはこういうものだろうか。信頼できるようでできない。バッテリーの状態を常に注意していないと使えなくなる。それにくらべてウィンドベーンは、電気は必要ないし、とても重宝するものらしい。


マリーナ「シドニー、クルージングヨットクラブ
停泊料金は日本の4分の一くらい

とにかくこれで出航できるようになったので一安心して理髪店へ行った。一足先に行った武田くんに場所を聞いて行ってみたが、外国で理髪店に入るのは初めてだった。「アイライク、ショートカット」、「ユーキャンユースクリッパー」言ったのはこれだけだった。終わってみると、いわゆる丸刈りのようになっていた。ヨットでは髪を洗うときに水をたくさん使わなくていいから、このヘアスタイルでもいいか。でも、もうちょっと何とかできなかったかな、と思っても遅かった。

シドニー、多田雄幸さん最後の寄港地。清水港沖で多田さんにごちそうになったビールの美味かったこと。白石くんは今、同じ南半球で東へ向けて突っ走っている。10年ちょっと前に静岡の清水で出会った3人がオーストラリアの近くで今こうしてお互い
ウロウロしている、奇遇だなと勝手なことを思う。
明日午前中にメルボルンへ向けて出航の予定。


2003年 2月23日 南緯33度52分 東経151度13分 シドニー・クルージングヨットクラブに停泊中

昨夜JST20時ヨットクラブに到着。ポンツーンに舫ってヨットの中でゆっくり眠れた。
シドニー港の入り口に到達したのが18時ごろ、大きなうねりの中だったがまだ明るかったので地形を視認できたのがよかった。暗くなってからは灯台を確認しながら進んだが街の明かりが背景にあって区別しにくかった。イギリスのRYAヨットスクールでの実技試験でも同様な状況を経験していたので役に立った。観光船やヨット、小船などが行き交う港内を1時間ほど進み狭い湾内にあるヨットクラブに着いた。港外から事前にVHFでコーストガードを呼び出しヨットクラブの電話番号を聞いて場所を聞いておいたのが良かった。武田くんが持ってきたオーストラリアの携帯電話が役に立った。

こちらの天候は雨が降ったりやんだり。バンダバーグとは違って高層ビルが立ち並ぶ大都会だがオートパイロットの修理などしなければならないことが多いので街へ出かけている時間があるかどうか。


2003年 2月22日 JST12時 南緯33度36分 東経151度55分
昨夜はシケた。午後からの風が吹きあがり夕方には10m以上になった。メインセールを降ろし、夜間はストームジブだけをあげておくことにした。うねりも大きくなってきていたのでストームジブだけでパワーが出せるか不安もあったが、答えは大正解だった。


嵐の前の静けさ

未明に風速は瞬間20mを越え、常に15m以上の風が吹いてきたがストームジブのおかげで安定した走りができた。海流にも乗り7ノットくらいで走れた。

0時から3時の自分のワッチの時、こんなことがあった。後方から本船が接近してきたので追いぬき船だと思った。しかし、さらくの横、数百mを並んで走ってからUターンして戻って行った。思うに、シケの中を走る小型船の安否を確認するために来てくれたのだろう。残念ながらこちらは一人で操船中、VHFのスイッチを入れる余裕はなかったのでその本船と連絡は取れなかった。

シケではあったが風と海流はシドニーの方向へだったので距離はかせげた。あと30マイルでシドニー港入口に到達する。暗くはなるがマリーナと連絡がとれれば入港する予定。


2003年 2月21日 JST7時半 南緯30度34分 東経153度28分
昨日、今日と曇ったり雨が降ったりのせいもあるが、船内の気温も28度と、けっこう涼しくなってきた。

昨夜は多数の漁船が操業している海域を通った。網を曳いている船で風下に向かって進んでいた。避けようとして風下側に落とすと漁船の針路とかさなって、なかなか前を通過できなかった。速度が遅いと思っていたが、こちらと同じくらいの速度らしい。北東の風だったので、どんどん岸よりへ行ってしまい、海流の反流の中に入ってしまった。おかげで沖に戻るのに時間をくった。海流にうまく乗れば0.5〜3ノットくらいプラスされるのですごく助かるが、時々流れからはずれてしまう。そうなるとまた流れをさがすのが大変だが、沖よりへ行けばたいていは見つかる様だ。ずっと追い風に追い波で操船に疲れた。


刺身になって腹におさまったアゴ(トビウオ)

船首の航海灯がつかなくなり狭いバルクヘッドに体を突っ込んで配線し直したが直らない。その上コンパスのライトも点灯しなくなった。

昨日の朝、20センチくらいのトビウオがコックピットに飛びこんでいたので刺身にして食べた。あまくておいしかった。トビウオはどこにでもいるがこのサイズの物が飛びこんでくれたのは初めてだった。

また、夜は武田くんがステーキを焼いた。料理が趣味という彼に言わせれば、肉は腐りかけがうまいとのことで昨日まで取っておいたものだ。塩胡椒をして焼いてからポン酢をかけてステーキ丼にして食べたが、けっこううまかった。

シドニー到着は23日の予定。


2003年 2月19日 JST12時 南緯26度47分 東経153度39分

17日13時にバンダバーグを出航した。

着いた日にビールをごちそうになった隣の船から充電器を借りてバッテリーのチャージをしたり食料の買物、ヨットの掃除などしていたのでそれほど休養は取れなかった。バンダバーグは砂糖きび畑が広がるのどかな所だったしマリーナも感じが良かった。

出航後、東側のフレーザー島の沖にあるブレイクシーという水深の浅いところを深夜の引き潮に乗って一気に抜けるつもりだったが、向い風のため、あいにく着いた時には満ち潮になっていた。どんどん浅瀬へ向かって流されたが、風があったのでなんとか抜け出た。日本で新調したジブセールを使い始めたのが良かったのかもしれない。これまでのジブはセールというより袋といったほうがいいようなシロモノで上りの性能が悪かった。これまでの航海でかなり傷んだので替えた。

18日には東オーストラリア海流に乗ることができて、速い時には1時間8マイルも南下できた。その後、海流の影響は少なくなったが北東から北の風を受けて順調に航海中。まもなくブリスベーン沖を通過する。

書き漏らしていたが、バンダバーグでは税関からは時間外などの費用の要求はなかった。しかし、検疫官から土曜だからというので時間外の要求があった。オーストラリアでは検疫は有料で行われ、時間外も含めて約270ドルを支払った。これはカードで支払ったので規則にそった正当なものだ。船のゴミまで持って行ってくれたのは助かったが高額だ。

ところで税関職員からは「遭難時に使う火せんは何本持っているか、ライフラフトはあるか」など船の安全設備に関した質問もあった。小型船での入国が多い国ならではだなと思った。


2003年 2月15日■ JST7時、バンダバーグに到着
昨夜からの風は未明にさらに強まって風速10m以上になった。2ポンリーフしているからそれはよかったが波高4mの波が横から時々襲ってきた。波頭が崩れてくるパワーのある波で、まともにくらったら横転する危険がある。コースを少し落とすとスピードがつき過ぎて到着が明るくなる前になってしまうので、上り気味にしてスピードを落として走った。5時半ごろ港の入口にある灯標を確認、武田くんをおこしてセールを降ろしたりの入港準備に入った。6時すぎ、VHFでマリーナと連絡がついた。マリーナは河口を1マイルほどさかのぼった所にある。


体はごついがやさしかった税関職員と

検疫用のポンツーンに着けてカスタムと検疫官の到着を待った。このポンツーンには扉があって検査が済むまで出られないようになっていた。カスタムの職員が言うには、さらくが航海している情報はすでにつかんでいたそうである。11日に双発機が低空飛行して来たが、胴体にCUSTOMの文字が見えた。その飛行機からの連絡によるものらしい。飛行機はVHFでコールしていたそうだが、こちらは無邪気に手を振っていただけで無線機のスイッチを切っていた。これからは飛行機が近づいたら無線機のスイッチを入れることにしよう。退屈な航海中には、もってこいの刺激にもなる。

そういえばマダン到着の直前にも飛行機にまわりを旋回されたが、あとで聞いたところではアメリカのヨットが付近の島のリーフで座礁していたらしいので、その関係で飛んできたのかもしれない。


ブンダバーグポートマリーナ

バンダバーグポートマリーナはこじんまりとはしているが設備の整った所だ。シャワーを浴びて冷たいビールを飲んでからステーキを食べた。これまでで最長の15日間の航海のあとだから何を飲んでも食べても美味かった。

レースの規定により今月中にメルボルンに到着するには、明後日には出発しなければならない。

船内を掃除してコックピットで一休みしていたら、隣のヨットの人達から声がかかった。ビールがあるから飲みに来ないかと言われ行ってみると、自分達が船内でつくったビールだという。ちょっとアルコールの強いビールだった。オーストラリアやドイツの男女4人が乗っている2本マストのケッチで沿岸をのんびりと航海しているという。つまみに裂きイカを持って行くと、おいしいと言って食べていた。ビールを2杯ごちそうになると眠くなってしまいさらくに戻って寝入った。

19時ごろ起きてみると爽やかな風が船内を通り夜空には星が…。

掲げてあるオーストラリアと日本の国旗は日没後は降ろす決まりになっているが、そのままにしておいた。
夜空にはためくオーストラリアの国旗を見ていると、ようやく着いたという実感がわいてきた。

2003年 2月14日 JST15時 南緯23度36分 東経152度33分

今、2時間のワッチを終えてキャビンに戻ってきた。
昨日から南東の風が5m前後吹き続け午後から8mまであがったのでツーポンリーフして走っている。
バンダバーグまで70マイルを切ったが波高が3mありスピードが出ない。海流と風がぶつかって三角波が立っているようだ。いつも目的地直前では、厳しい状態になる。

2人とも睡眠不足で昼でも横になるとすぐに寝入ってしまう状態だがあと一晩の辛抱だ。
バンダバーグの検疫で肉類を没収されるのでレトルト食品や缶詰など肉が入ったものをどんどん食べている。昨日はレトルトの牛丼を2袋を一度に食べた。食べないと体力が持たないからちょうどいい。

昨日の夕方グレートバリアリーフ南端にある灯台の明かりを見ることができた。毎日海と空ばかりではつまらないので灯台の明かりでも見ようとコースから少し外れるが灯台の近くを通過するようにした。近くとは言っても7マイル離れていたから灯台や島は見えなかったが19時きっかりに水平線上に10秒に1回の点滅が始まった。海図の情報をこうして実際に確認してオーストラリア沖に来ていることをようやく実感できた。
リンドバーグならこう言ったかもしれない「セールよ、あれがオーストラリアの灯だ!」

バンダバーグには明日の午後、到着の予定。


2003年 2月12日 JST 7時の位置 南緯20度4分 東経152度31分

昨夜は体調が悪く最悪だった。2時から5時のワッチのため起きたら体が重く頭もスッキリしない。とりあえずコーヒーを飲んで交替したが突然の生理現象。寝たばかりの武田くんを起こしてトイレへ走った。それでかなり治りワッチに戻ったが目を開けていられないほどの眠気はどうしようもない。舵輪を固定してみるとセールのバランスが取れているので蛇行しながらも真っ直ぐに走る。風速は3くらいだが夜なのでツーポンリーフしてあったこともよかった。また、本船航路から離れていたことも良かった。コックピットで横になり居眠りしながらワッチした。5時になっても武田くんが起きてこない。二人とも疲れがたまっている。続けて取れる睡眠時間が2時間半しかない。これが夜は2回、昼間は30分か1時間の睡眠が細切れに取れるだけだ。この生活がもう9日間続いているから無理もない。1時間遅れで起きて来た武田くんと交代した。

今晩から明日にかけてグレートバリアリーフの南端の東に張り出した部分を避けながらの航海が続く。


2003年 2月11日 JST 12時の位置 南緯18度20分 東経152度37分

昨日は18時ごろから5mくらいの北東の風が吹き始め一晩中吹いた。今も少し風速は落ちたが吹き続けている。おかげでかなり距離が稼げている。昨夜はリーフの近くを通過するというので、灯台の光が見えるかもと思っていたが光達距離より遠いところを通ったので見えなかった。本船航路も通過したが一艘の本船とも会わなかった。思い出してみると灯台の光は沖縄以来見ていない。初めての港には夜は入らないようにしているせいもあるがパプアニューギニアの沿岸には灯台が少なかった。あっても点灯していないという情報のある灯台もある。それにくらべて日本には灯台が多いなと思う。

夜の3時間のワッチでは晴天の日には星を目標にヨットを走らせる。ヨットの進行方向をコンパスで決めたら、前方にある適当な星を目標にする。ひたすら、その星を見ながら走っていけば、しばらくは正しい進行方向が維持できる。なるべく明るい星を選んだほうがいい。普段は一つの星をこんなに長く見つめるということはない。
いったい何万光年離れた星なのだろうとか、何という星座の星なのだろうとか、とりとめもないことを考えながら走る。また昨夜は一瞬サーチライトで照らされたかと思ったら雲から出た月の明かりだった。月が水平線に沈む時には、赤っぽい表現しようのない不気味な色になる。これがけっこう怖い色なのだ。暗いので写真を撮れないのが残念だ。


2003年 2月10日 JST 12時半の位置 南緯16度16分 東経152度28分

8日からの快走が終わった。この間、デーラン152マイル内12時間は平均速力7ノットだった。久しぶりにいい風に恵まれた。しかし、これがいつまでも続くと思ったらまちがい。1時間前から凪になり、うねりにセールがバッタン、バッタン。船内にいると船が壊れるんじゃないかと思うほどの騒音だ。
また風が出て走り始めれば15日ごろにBundabergに着ける。
こちらは太陽が高く、デッキに日陰が少ないのがつらい。


2003年 2月 9日■ JST 12時45分 南緯14度00分 東経152度32分
8日午前7時(PNG時間)ジョマード水道を通過した。

もっとも狭い部分で2.6マイル。
東側に島、西側にはリーフがつづいていた。双眼鏡で見ると珊瑚海からのうねりがリーフにあたって大きな波となって崩れていた。サーファーが見ると喜びそうな波だが船にとっては恐怖だ。逆潮と逆風のため、ソロモン海を通過するのに予定より2日も余分にかかってしまった。


撮影・武田

珊瑚海に出てもしばらくは風がなく昼過ぎまで雲を求めて機帆走。その甲斐あって13時過ぎから5mの北西風が吹き始め、今まで吹き続けている。6ノット以上でよく走ったが夜になって波が出てきたので車で言えばガタガタのオフロードを走っているようなものですごく揺れる。操船に疲れるが、凪に捕まっているよりはましだ。
日が暮れてから鳥が船に「乗船」しようと飛来した。後ろの方から船の速度にあわせて飛んできてソーラーパネルの上にとまろうとするのだが、何回やっても失敗する。
それもそのはず、ソーラーパネルはツルツルだから鳥の足ではつかまれないのだ。やがてあきらめて暗闇の中へ消えていった。
 


2003年 2月 7日■ 9時(PNG時間) 南緯9度43分 東経151度33分
オジョマード水道はまだかー!
二晩続きのフルジブ、フルメインだった。風は北東から東が最大で5メートルくらい、波はないから吹けばヨットは6ノットくらいで走る。普通夜はメインセールを少し小さくするが(リーフ)、ここでは吹きあがりそうな気配がないので夜もフルのままだ。このヨットのセール面積は大きすぎると思っていたが、微風の時にはありがたい。ワンポンリーフした状態とではパワーが違う。加速も波切りも抜群である。

5日の午後から6日の朝まで5メートルの風が吹きつづけたおかげで、距離がかせげた。しかしその後、島に近付き過ぎて潮の流れが速い瀬に入ってしまって出るのにずいぶん時間を取られた。

6日の午後は微風と逆潮、夜になってようやく風が出て50マイルくらい走れたが、今日の明け方からまた微風だ。逆潮はまだあるが1ノット前後になった。今、右手にノルマンディ島が見えている。もう少し行くとストラットホードという島もあるが、どこかで聞いたような地名だな。

デッキでは武田くんがジブファーラーを開き始めた。風が4メートルに「上がった」からだろう。ウーンでもまた2メートルに落ちた。7時から回していたエンジンも止めてしまった。


夜間ワッチ、雨にもめげず風にもめげず

今度は何時間、帆走できるかな。次の変針点まで約7時間、そこからジョマード水道出口までまだ70マイルある。水道を出られるのは明日になりそうだ。今朝、クインズランドのラジオ放送が聞こえた。オーストラリアは確実に近づいている。

<夜間のワッチ>
最初は4時間交替でやっていたが、最後の1時間になると「人の話し声が聞こえた」とか、「教会の鐘の音が聞こえた」という現象がお互いに現れたのでこれはヤバそうだと3時間にした。
僕は目の前にあるコンパスが皿に見えて、たくさんのケーキがその上をぐるぐる回っているように見えたこともあった。3時間にはしたが、最後の30分は気力でもっているようなものだ。5日の夜からスコールに遭わなくなったことがうれしい。


2003年 2月 4日 「ソロモン海 ヤシノミ投げて 福はうち」

Vitiaz海峡からようやく抜け出した。丸2日かかった。機帆走で1日19時間もエンジンを回したのは今航海中最高記録だ。燃料を40リットルも使った。全部で180リットルしか積載していないので20%以上つかってしまったことになる。

ソロモン海に入ったが海流は弱くはなったもののまだあるし、ここの風は振れが大きく走りづらい。ずっと吹いているのは北東から東の風で数十度振れるのはしょっちゅうのことだ。

今日は珍しく16時ごろスコール雲の下に入った。早速シャンプーをつけて待受けスコールで洗髪した。しかし、なかなかシャワーのような降りにはならず困っていたらジブセールの下から大粒の水が滴り落ちていたのでその下へ行ってシャンプーを洗い落とした。最高の気分だった。

夜中のワッチの時、呼吸するような音が聞こえるので照らしてみたらイルカが並んで泳いでいた。

マダンで修理したオートパイロットのラダーを動かす油圧シリンダーが働かなくなった。これから二人して交替しながらヘルムをとっていくしかない。日中は2時間交替、20時から8時までは3時間交替のワッチ体制にした。

「ソロモン海 ヤシノミ投げて 福は内」
マダンで買ったヤシノミの果汁を飲んだあと航海の安全を祈って海へ投げた。
別に逆潮だからやけくそになったわけではない。


2003年 2月 3日■ 南緯6度23分 東経146度15分


Vitiaz海峡にて

パプアニューギニア本土とニューブリテン島などの間を通るVitiaz海狭を通過中。

昨日の朝からこの海峡に入ったが、3ノットの逆潮と微風に悩まされた。

くわしい海図がないので反流をさがして岸寄りを走れるのも明るいうちだけ、岸からはリーフが張り出しているので夜は海峡の中央を走らざるを得ない。
ここは航行する本船も多い。

今日は風は吹き出したが行きたい方向から吹いてくるのでタックのくり返しだ。
まだ1ノットくらいの逆潮があるので、はやく広いソロモン海に出たい。
昼間は晴れているが、夜はあいかわらずスコールに見舞われる。


2003年 2月 1日■ 10時(日本時間9時)マダン港を出航
オーストラリアのBundabergをめざす。ブリスベーンの北、南緯24度にあるオープンポート(入出国できる港)である。距離は約1500マイル、12〜13日間の航海を予定。途中、ソロモン海から珊瑚海に抜けるジョマード水道を通過、最狭部2.6マイル。用意していなかったBundabergの海図はポートモレスビーから取り寄せることができた。ジョマード水道の海図はヨットのストックの中にあった。長崎の一等航海士西田さんからのメールで灯台などの最新情報が補強された。


一度は直ったオートパイロットの油圧シリンダーだったが…

昨日、水や軽油の補給をした。ホテルの桟橋に着けていたのでホースを伸ばしてくれたりして楽にできた。ホテルには一人が泊まっただけだが、停泊料はタダだったしオートパイロットの油圧シリンダー修理をしてくれる所を紹介してもらったりで、ずいぶん助かった。

油圧シリンダーはホテルの支配人から船会社の総支配人を紹介してもらい、その会社の工場へ持ちこんだ。パプア・ニュー・ギニア在住40年というオーストラリア人エンジニアのデイビッドが取り外しから修理、再取り付けまでやってくれた。
作動テストはOKだったが、少し変な音がするようになった。注意して使っていくしかない。

また、珊瑚海でサイクロンに遭遇しないよう、天気図をチェックしながら行く必要あり。

昨晩は、武田くんが勤めていた会社の人達4人と食事した。ODAの仕事で山奥に橋を架ける仕事をしていて、五六時間もかけて車でやってきた。治安が悪いので金網で囲まれた現場事務所に住みこんで仕事をしているそうだ。夜も出歩けるマダンは治安のいい所だと驚きながら久しぶりの街を楽しんでいった。今朝は生鮮食品の買出しにも協力してもらった。買ってきてくれたパイナップルがすごく甘くて美味しい。ピーマンはナマで食べても日本のもののように苦くなくて美味しい。

これから2週間弱の船旅だ。さようなら、港町マダン。

ところでマダン出航が土曜になったので、パラオにつづいてまた税関職員の時間外手当(約1,500円)を要求され支払うはめになった。

Past  2002.12.29 〜 2003.01.29 

当ページは神田氏からのインマルサットによるメールをもとに\Kama(JG6JAV)が編集更新を行っています。

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