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■ new SALAKU レストア整備日誌 ■

■ 2002年6月7日 ■

1ヶ月弱の上架作業を終わり下架した。上架中、古い船底塗装を剥がし赤い塗料をスプレー塗装。塗装を剥がす作業はきつかった。かなりの部分を業者がやったが、20%くらいは自分でやった。ヘラで塗装を剥がしたあと、サンダーを使ってプライマー(塗装前の下塗り)を落とす。同じ場所ばかりで作業をしていると同じ姿勢が続いて疲れるので、いろんな場所を移動しながら剥がしていくのが業者から教えてもらったコツ。
ほかに舵を抜いてベアリングやグランドパッキンの点検と交換、エンジンシャフトとスクリューの交換もおこなった。
下架後、スルーデッキのマストを立てた。最下部がキールの上の所定の場所になかなか入らず、2人で船底に入り、汗ダクになりながらやっとの思いで入れた。
船を移動させようとスクリューを回し始めたところで「回転が逆や!」の声。舫いをはずす作業をしていて、初めは何のことやらわからなかった。どうやら前進と後進が逆になっているらしい、原因はスクリューのせい?!デジカメで撮った写真を見ると確かに左回転用のスクリューだ。このヨットのエンジンはボルボだが右回転で前進するようになっている。上架中、誰もこのことに気が付かなかったとは!
せっかく下架したのに、また上架して作業をやり直さなくてはならないのだろうか。そう思うと、夜もよく寝られなかった。
翌朝、業者から「ボルボのエンジンは左右の回転のギア比が同じで前後進のレバー設定も簡単に変えられる」と電話で連絡があった。ほかの人からも同様の連絡があり安心した。人まかせにしていたのがイカンかった。

■ 2002年6月8日 ■

小川君が来てくれたのでジブシートウィンチの取り外しにかかった。4本のネジで固定されているだけだが、おそらくヨットに取付けられてから一度も外されたことはないのだろう、すべてのネジが固着してしまっていてビクともしない。CRCをかけながら少しずつ力を加えていく。1時間くらいかけて両側のネジのうち6本を抜いたが、どうしても2本が抜けない。また一週間くらいかけて毎日CRCをかけながら緩めていくしかないかと思っているところへ上野さんがあらわれた。このマリーナにヨットをおいている人だが機械関係の仕事をしているだけあって判断が速い。「これはもうアカンからドリルでほじってしまおう」と電気ドリルでネジの頭を取ってしまうとウィンチは簡単に外れた。替わりのネジがある場合は、こういう方法もあったか。
取り外したウィンチは分解して一晩灯油の中に入れておいてからCRCをかけながら磨くと金属の輝きを取り戻す。耐水グリスを塗ってから組み立てて初めて回す時に出るカチャカチャという音を聞くときはたまらない。人が使うために作られた物なのに放置され、そのままスクラップになっていたかもしれないウィンチ。まったくもったいない話だ。有効に使わせてもらおう。

■ 2002年6月11日 ■

関西地方も入梅。午前中、メル阪レース委員会のアドバイザリースタッフ・松浦さんが来てくれた。前回のレースに出場した人で、出場を考えている人からの質問などに答えてくれる。予備ラダーのことで質問をメールしたら、わざわざ来ていただいた。松浦さんはクルーが決まらず苦労された経験があるそうだ。こちらも自分のホームページでクルー募集を始めてから一ヶ月以上たったがまったく応募がなく、これからどう進めていけばいいか迷っていた。松浦さんからは、レースにエントリーして準備を進めたほうがやる気も出るしクルー募集にもプラスに働くからとエントリーを強く勧められた。自分にやる気を取り戻すために、エントリーすることに決めた。
午後、雨になったがドジャーを作ってくれる業者が打ち合わせに来た。すでにフレームは取付け終わっているがシートを引き込む場所をどうするかで話し合う。
そのあとセールメーカーの人が来た。ストームジブについて打ち合わせるつもりだったがインナーフォアステイの設置を強くすすめられた。ジブファーラーを使うので大シケの時に使うストームジブをどう張るかが問題になっていた。整備を始めたころはインナーをつけるつもりだったが、ほかにやることが多くウヤムヤになっていた。マストを倒しているときに作業すればやりやすかっただろうが、もう立ててしまったので、やりにくい作業になるだろう。具体的にどういうものをどこに付けるかの検討を始めた。

■ 2002年6月13日 ■

午前5時、隣の出島ハーバーから上天気が北海道へ向けて出航したので見送りに行った。足立造船がつくった木造カッター。キャビン内は電気製品に囲まれていた。オーナーの三浦さんは北海道の人で将来は地中海へ行くのが目標。
泊まっているビジネスホテルのエアコンの調節ができず、冷房がききすぎて喉をやられた。咳きが出て寝れないので病院で診てもらった。
リーフロープやアウトホールラインを取り替えたブームを再取付け。船尾の狭い空間に入ってラダー軸にコードラントを取付ける作業をしていたら大汗をかいた。サウナ風呂で作業しているようなものだ。

■ 2002年6月15日 ■

メル阪レース委員会へ書類をファックスしてエントリーした。日付はワールドカップで日本代表が決勝トーナメント進出を決めた14日にした。自分がサッカーをしていた中学生のころは、まったくマイナーなスポーツだったのに今やすごい人気だ。
アンテナチュナー取り付け。フラリと現れた小川君にケーブルの取りまわしなどを手伝ってもらった。狭くて暑苦しい船尾室でやるので作業ミスが多くなりイライラする。
ゴールデンアロー号オーナーの徳弘さんがアンカーを上げる時に使うラチェットを持って来てくれた。鉄工所の仕事をしているのでステンレスの加工はお手の物だ。以前、曲がっていたスタンションを真っ直ぐに直してくれたこともある。ラチェットを取付けては見たが、アンカーをのせることができなくなることがわかり折角だったが取り外した。
小川君に案内してもらって日本橋へ行った。アンテナチューナーの値段が長崎より1万円安かった。小川君は値切ればもっと安くなると言う。見なければ良かった、聞かなければよかった。
道具筋の店で大漁旗を見つけたので値切って買った。1万円なり。いつかヨットにつけよう。吉本興業の前を通った。繁華街を歩いたのは久しぶりだ。

■ 2002年6月18日■

メインシートウィンチやストッパーを取り付け。これで雨漏りする箇所が減ると思うとうれしい。再配置とグリスアップのためにウィンチを外したのはいつだったか、あまりに以前すぎて忘れてしまった。業者のやり方を一度見ておけば、次回は自分でできる。

■ 2002年6月19日■

横山さんが来てくれたのでキャビンから船尾へアンテナ線などを通す作業ができた。二人いればどうということもない作業だが、1人でやるとなるとあっちへ行ったりこっちへ来たりと時間が何倍もかかる。横山さんには天井板の一部の再取付けもしてもらった。
そのあと、大阪市にある海運局まで車で送ってもらった。27日にさらくが遠洋航海できるよう日本小型船舶機構(JCI)の検査を受けるが、その許可を受けるためには海運局が発行する国籍証明書が必要だとJCIの担当者から言われたため、発行を申請しに行ったのだった。ところが、対応に出た海運局の人は怪訝な表情で、「本当にJCIがそんなこと言っているんですか、まったく関係のない書類なのに」と言う。そもそも国籍証明書は船で外国の港に入った時に必要になる書類であって、船の検査や登録には関係がないものなのだが、こちらはJCIから言われたのでしかたなく来ているのだ。海運局の担当者はJCIに電話して確かめていたが、やはりJCIはそう主張しているのだった。
では発行しましょうということになったが、まだ問題があった。僕は長崎に住所があるので発行された国籍証明書は長崎に郵送される。JCIが言っているように、検査の時に国籍証明書を持って来いということになれば一度長崎へもどって郵便箱から取り出してこなくてはならない。これにはさすがに海運局の人も同情してくれ、発行された国籍証明書をファックスするからそれで済ませてやってはくれないかとJCIに掛け合ってくれた。JCIと海運局の関係は知らないから、そう言われたJCIが渋々だったか、それとも平身低頭してかは知らないが、とりあえずファックスで済むことになったのだった。
その後のJCIの対応を見ていると、国籍証明書が小型船の遠洋検査に必要な書類かどうかということにJCIは統一的な見解をもっていないらしい。今年4月から小型船の登録制度が変わったせいもあるらしいが、JCIの対応には一貫性がない。自分たちの事情だけで利用者に余分な手間をかけさせることだけはやめてもらいたい。

■ 2002年6月21〜22日■

ゆるんでいたナットを締め付けてから一部の天井板の再取付け。新品の航海灯を取付けして、アンカーライトの電線もつなぐ。これでデッキより上にあるライトの配線はすべて終わった。ソーラーパネルやGPSアンテナからキャビンへの配線をした。
レース委員会のホームページを見てクルーに応募してくれた人が来てくれた。24fのヨットを持っていてヨットの作業にもけっこう慣れている。188センチと長身の青年だ。大阪に住んでいるので、これから時々来てくれるそうだ。心強い仲間が増えそうだ。

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