二十代にディンギーを数年間経験し、少々の強風までならヨットを走らせる自信はあった自分だが、小馬力とはいえエンジンが搭載されたクルーザーを購入して航海を始めたのは4年前のことだった。ヨットクラブと称するものに入ってはみたがほとんど得るものがなく、いろんな人に話しを聞いたりしながら手探りでセーリングしてきた。「よく一人で行くね」と言われながらシングルハンドで五島列島へ何回もセーリングしたり、2回にわけてだが九州を一周したりした。
長崎では夏に行われるテーマパーク主催のヨットレースだけにはお祭りのように多数のヨットが集まるものの、ふだんはマリーナに停泊したきりのヨットがほとんどという現状に、ヨットの楽しみとはこんな程度のものか、本来もっと楽しいものではないかと疑問を持っていた。
そんなころ、ヨット雑誌で紹介されたイギリスのRYA(Royal Yachting Association・王立ヨット協会)の記事が目にとまり、くわしいことを知りたいと思った。去年、そのRYAのヨットスクールに参加したという人から直接、話しを聞くことができた。話しの中で特に印象的だったのは、試験がヨットを走らせながら夜間にまでわたって行われるということで、聞いたとたんにこれは本物だ、行くしかないと思った。去年、仕事をやめて時間ができたので、11月ごろからリサーチを始めた。リサーチの方法はRYAスクールの経験者に会って話を聞いたり、インターネットを使って行った。RYAのサイトからは数えきれないほどのヨットスクールにリンクでき、そのうち受けたいコースの日程や料金が自分の希望にあったいくつかのスクールを選んでメールを出した。その中で最も親切に対応してくれたワイト島カウズの Go Sailに決めたのが2月だった。留学経験もなく、英検2級に合格したことがある程度で、それ以降もラジオの英会話番組を時々聞くくらいしかしていない自分がどれくらいやれるか未知数ではあったが、とにかく今年4月中旬に一人でイギリスへ向かった。
<RYAは英国でヨットやモーターボートを楽しむ人達のために利益保護、教育などの活動を行っている。特にヨットの教育分野では初心者からベテランまで5段階の講習を実施している。今回僕が受けたのは、真ん中のコースタルスキッパーのコースだった。英国ではレジャーとしてヨットやモーターボートに乗る場合、免許は必要ない。誰でも自由に船を走らせることができるにもかかわらず、多くの人達がわざわざRYAの傘下にあるスクールに通って講習を受けている。>



SouthamptonからCowes行き高速船に乗る
 ロンドンから列車で1時間半、サウスハンプトン駅に着いた。駅前から無料のバスに乗って波止場まで行ける。波止場で高速船に乗るとほぼ満席で手荷物置き場にはバックが積み上げられていた。乗っている人たちは若い人たちが多く、ひょっとして全部ヨット関係?と一瞬思ったが天気も悪く寒いのにそんなはずはないだろうと考え直した。何せ寒いので僕はセーターや冬物のジャンパーを着込んでいたのだ。高速船が走り出すと雨が窓をたたき始めた。すぐに走っているヨットが見え始めた。寒い中がんばっているな、長崎ならセーリングに出るヨットがあるとは思えないような天候だ、いったい何隻のヨットがセーリングしているか数えてみることにした。ソレント水道に出ると波と風は一層強まって高速船の窓を時折波しぶきがたたくようになった。10,11,12隻…、ヨットの数は増え続けた。雨で視界が悪く遠くまでは見えないが、両側の窓にセーリングしているヨットが現れては消えた。

15隻までは数えたがそのあともどんどんヨットの数が増えつづけるので数えるのはあきらめた。こんな天候の中、たくさんのヨットがセーリングしているとは…、唖然とするしかなかった。あとでわかったことだが、ちょうどこの日は復活祭の連休中で今年最初のヨットレースが始まるところだったのだ。だから高速船に乗り合わせていた人たちも、やはりその多くがヨットのクルーだった。
寒い時化の海を、たくさんのヨットがセーリングしている、イギリスに着いたばかりの僕にとって、ソレント水道のファーストシーンは衝撃的だった。

CowesでTerry Rowe と会う
 ヨットスクールGo Sailに電話すると女性が出た。ロンドンからテリーに電話した時に聞いていたガールフレンドのデビーだ。ちょっと早口の人で困ったなとは思ったが、テリーとの待ち合わせ場所と時間だけは聞き取れてホッとした。


午後、ヨットハーバー・カウズヨットヘヴンのポンツーンでテリーと会った。メールのやり取りは何回もしたが、会うのは初めてだ。俳優のテリー・サラバスをやわらかくしたような感じの人だった。緊張していたせいか何を話したのか覚えていないが、ヨットクラブのパーティに招待された。テリーが所属しているアイランドヨットクラブはカウズのメインストリートにあるビルの中にあって、窓からはソレント水道が一望できる。テリーとデビー、それに彼女の妹とビールを飲みながら話しをしているうちに他のメンバー達も三々五々集まってきた。
どうやらGo Sailのレーストレーニングコースに参加している人たちらしい。このレーストレーニングは、ヨットを持っていない人でもファストネットやカウズウィークなどのビッグレースにクルーとして参加できるコースで、レース出場に必要な航海経歴や技術を取得することができる。彼らどうしの会話の内容はほとんど聞き取れない。自分の英語の能力がその程度だということはわかっていたので別段気にはならなかったが、デビーが「ジュン、私達が話していることは全部わかる?」と気を使って聞いてくれた。
食事の時、近くにすわっていたバリーという人がフリーのRYAインストラクターだということがわかった。彼が「RYAのスクールはショアベースにせよ、プラクティカルにせよ、楽しみながら受けることが一番大事ですよ」と言っていたことが印象的だった。

Shorebased Course 始まる
4月16日
 Go Sailは経営者がインストラクターも兼ねている小さなスクールである。インストラクターのテリーは数百トンクラスの船の船長資格を持っていて、ヨットで南極まで航海したこともあるという。これまでに航海した距離は約30万マイルになるそうだ。このスクールが教室として使っているのはカウズヨットへブンのメディアセンターだ。ここは夏の3ヶ月間はヨットレースの取材に来る報道機関の拠点となるが、それ以外の時期は空いているのでそのスペースを教室として利用している。夏の間はというとテリーはチャーターヨットなどの仕事で海に出ていて学科講習はお休みになる。ほかのインストラクターを多数かかえるスクールは自前の建物を持ち、そのなかにある教室で講習をおこなっ
ている。


今回、コースタルスキッパーのコースを受けるのは僕を含めて3人。他の2人はワイト島に住む英国人で50歳前後くらい。2人ともヨットのオーナーだ。
Shorebased Courseとは学科講習のことで64ページのテキスト、練習用海図二枚、そしてPractice Navigation Tables(PNT)を教材に使って行われる。PNTはイギリスで毎年、発刊されるAlmanacの使い方を学ぶための教材である。電話帳ほどの厚さがあるAlmanacはヨットなどプレジャーボートのためだけにまとめられた年鑑で、日本で同様なものを見つけることはできない。イギリスやフランスなどの潮汐、潮流やはもちろん、各港は地図付きで紹介されている。避難する場合の注意、入港の方法、灯台や航路標識の情報、ハーバーマスターと無線交信するためのチャンネル、燃料補給など設備の有無、さらに潮高、潮時を改正するために使用するグラフ、これらの情報が満載されているのがAlmanacだ。
PNTはこのAlmanacを使いこなすための教材と言えば良い。

コースタルスキッパーの講習はヨットマスターと同じ教科書を使い同じ内容を勉強する。講習は海図の見方から始まった。海図図式の中には日本では使われないものも少しある。また日本では港に入る場合、右側に赤い航路標識を見ながら進むが、イギリスでは緑色の標識が右側にくる。そんな違いはあるが、ほとんどは日本の海図と共通しているから生まれて初めての英語の講習とはいっても80%くらいは理解できた。テリーさんは時々"Are you happy?" と聞いてくる。ニュアンスから「わかりますか」くらいの意味らしい。一段落すると "Tea or coffee?" でお茶になる。クッキーも出してくれてリラックスしてやりましょうという雰囲気。

Tidal Diamond に悩まされる
RYAは学科講習の内容を収録したCDROMを販売していて、日本からでも通信販売で入手することができる。これを使って予習している時から、これはやっかいな代物だと思っていたものがあった。それは「タイダルダイヤモンド」というアルファベットをひし形で囲ったマークのことで海図の中に表示されている。

中央にあるのがタイダルダイヤモンド

  海図に記載された潮流のデータ


海図には同時にその場所の潮流の速さと方向を1時間おきに表示するデータが記載されている。親切な表示ではあるが、試験問題として出題されるとなるとやっかいであった。航海計画を立てる問題では、航路の近くにあるタイダルダイヤモンドのデータからヨットが潮流に流される方向と距離を考慮に入れて船首を向ける方向や到着予定時間を求めなければならない。一つだけならまだしも、航路によっては複数のタイダルダイヤモンドが関係してくる場合もある。計算自体は簡単な足し算をするだけだし、海図上に作図しさえすれば答えは得られるが、コンパスの偏差や自差、それに風による横流れの要素、さらに日本では使われない夏時間にも注意しなければいけないので間違いやすい。自分では集中して取り組んでいるつもりでも、イージーミスをすることが多かった。考えてみれば慣れない英語の講習が続く中、自分では冷静でいるつもりでも注意力が散漫になっていたのかもしれない。
講習は毎日、9時から17時すぎまで行われた。講習も三日目を過ぎると、疲れがたまっていることが自分でもわかった。日本語を話す場所がないということが、かなりストレスの原因になっていることは明らかだった。かといってどうしようもないので、昼休みにはハーバーへ行ってヨットをながめながら、来週はヨットに乗れるからそれまでの辛抱さと思うようにした。ウィークデーでもハーバーには家族でセーリングしているヨットが停泊しているし、メンテナンス関係の業者が仕事をしていて活気があり、見ていてもあきなかった。


長崎県人と会う
昼食はサンドイッチが多かったので、たまには違ったものを食べようと講習四日目にイタリア料理店に入ってみた。注文を取りに来た女性が何となく日本人っぽいので、日本語で話しかけてみたらやはりそうだった。イギリス人と結婚して5ヶ月前からワイト島で暮らしているそうだ。出身地を聞くと長崎県松浦市ということでまたまたびっくり。料理はあまり美味いとは思わなかったが久しぶりに日本語が話せてホッとした。
この日は午後、海上衝突予防法と気象の試験があった。予防法では夜間航海する船が掲げる燈火についての問題の配点が高い。燈火の意味だけではなく、船の大きさや航行中かどうかについてまで答えを要求される。次ぎに配点が高いのは、避航船と保持船の問題。80%以上の正解で合格ということだったが、91点でパスできた。
気象の試験の問題では、予報で使われる天候変化に関する imminent, soon などの用語が具体的にどれくらいの時間を指すのかを聞いたり、天気図を見て天候を予測させたりする。これもパスできた。

Another Testを受ける
4月20日
 今日はChart workの試験が朝からあった。潮流や風の影響を考慮に入れてヨットの推定位置を求める問題や、ヨットを特定の港に停泊させる時、干潮時に座礁しないようするためにはどれくらいの水深がある所にとめなければならないかをPTN記載のデータを使って求める問題などが出題された。冷静にやればできそうな問題ばかりだが、あいかわらずイージーミスの連続で合格ラインに到達できなかった。他の2人は合格。万事休す、ダメかと思っていたらテリーさんが「明日、追試をやるから受けなさい」と言う。追試は英語で"Another test"というらしい。イギリスまで来て追試を受けることになるとは思ってもいなかったが、ここは受けるしかない。

チャートワークにはコースプロッターを使う。使い方は簡単で小型船の狭い机の上では三角定規より便利。


21日
 朝、教室に行ってみると週末におこなわれるレーダーとVHFのコースを受講する人達が十人以上来てワイワイやっている。テリーさんに別の部屋で追試を受けるよう言われた。「落ち着いて間違えないようにやってください」と言い置いてテリーさんは出ていった。イージーミスばかりやっているので、ここは慎重にやるしかない。何回も緯度、経度の数字を確かめながら海図に位置をプロットしたりタイダルダイヤモンドのデータを見ては線を引く。こんな作業を制限時間いっぱいの2時間やったところでテリーさんが採点にやって来た。今回はなんとか合格点をクリヤーできた。テリーさんとがっちり握手、これで学科の授業から解放されると思うと"I'm happy"だった。

午後、テリーさんの新艇でセーリングに出ることになった。25fのHarley C25という純レース艇だ。この一週間、寒いうえに強風が吹いたり時雨れたりと悪天候が続いていたが、この日は晴れて穏やかな日となった。初めてソレント水道でセーリングできるとあって嬉しかった。

テリーとデビー、それにアメリカ人のエドが一緒に乗った。エドはやはりコースタルスキッパーの実技講習を受けるためにコロラドからやって来た人で、翌日から一週間ヨットの上で寝食を共にした。風は2〜3メートルしかなかったがテリーのヨット"Drakes Drum"は軽量のレース艇だけあってよく走った。ソレント水道ではウィークデーでもヨットが走っていない日はないが、ましてや週末はどこを向いてもセーリングするヨットが視野に入らない所はない。ティラーを持たせてもらったがすごくクィックな反応をするので初めのうちはタックすると回りすぎてしまった。カウズに戻るコースは2ノットくらいの逆潮になり、風が弱くセールだけでは前に進めないのでエンジンをかけた。この日はエリザベス女王の誕生日でロイヤルヨットスクオードロンにはたくさんの信号機がはためいていた。テリーとデビーはコックピットで抱き合ったりして本当に仲が良さそうだった。 


Practical Course始まる

23日 集合時間の9時にハーバーへ行きこれから5日間乗ることになるHarley RaceboatのReflex38・"Walk on by"に乗る。オーナーのキースは学科講習で机を並べていた人だ。コースタルスキッパーコースを受けるのは自分以外に二人、このキースとアメリカから来たエド。
エドは海のないコロラド州に住んでいるが、以前帆船のクルーをしていたことがあるそうだ。再び帆船に乗り組みたいのでRYAの講習を受けて認証状をもらい、就職活動をするうえでアドバンテージを得ようとやってきた。


    講習に使ったヨット             受講したメンバー  

エドはジョークが好きな陽気な人で、帆船に乗っていただけあって号令をかけるのがうまかった。この人がいたおかげで船内の雰囲気が明るくなった。私と同様、インターネットでこのスクールのことを知ったという。
私たち3人以外にもデイスキッパーコースを受ける女性とビギナーが対象のコンピーテントクルー(できるクルー、というような意味)コースの若い男性が乗り乗員は全部で6人。女性はステファニーといい、高校生の息子も週末のVHFコースを受けに来ていた。イギリスではシングルマザーの比率が25%にもなるそうで彼女もその一人というわけだ。若い男性が自己紹介した時に、僕には彼が海兵隊にいたことと、55フィートのヨットのクルーをしているということしか聞き取れなかった。そこから推測すると、かなりのべテランかと思っていたが、実はヨットが傾くとデッキを歩けないくらいの初心者だということがあとでわかった。
ヨットは10時40分にカウズ出航。西の風、風力3、晴。初日にはふさわしいおだやかな日だ。タックしながら西へ向かう。ソレント水道の両側には低い丘陵が続く。テリーが指す方向を見ると砂浜の間に河口らしきものが見える。ヘルムを取っているキースにテリーが標識のトランシットを利用して入るように指示。
河口は幅が数十メートル、航路はその半分くらいしかない。エンジンはかけずに帆走で入れという指示。キールが浅瀬にあたりはしないかと心配になったが、水深計を見ていると4〜5メートルはあるし風は横から一定の強さで吹いていたので難なく入れた。内側に入ってみると奥のほうまで広くなっていてたくさんのブイが並んでいる。

アンカーに繋がっている直径が60〜70センチくらいの球形のブイに小さなブイがさらに繋がっている。最初に船から大きいブイにロープをかけて引き寄せ次に小さいブイをひろいあげて舫いロープを繋ぐ。キースはオーナーだから操船に慣れているのだろうが一回目は失敗し二回目に成功。ヨット用のブイなど日本では見たことがないから近くまで行ってみるが、どうってことはないプラスティック製のものだった。
ステファニーがサンドイッチを作ってくれて皆で食べる。ニュータウンというから日本と同様、住宅団地がある所かと見渡してみても数軒の家が見えるだけ。低い丘陵と森に囲まれた静かな所だ。自然保護区になっているせいか水鳥が近くまで寄ってくる。ここは数百年前に港として栄えた時の名残でニュータウンという名前がついているそうで、イギリスにはこういう地名の所が多いとあとで聞いた。出航するときはスターン(後ろ)のトランシットを利用しながら真っ直ぐに走りなさいとテリーが指示した。

舵をとる
しばらく西へ向けて走るとテリーから舵を取れとの指示。自分のヨットよりも2メートル以上長いこのヨットの舵を取るのは初めてだったが、そんなに敏感すぎもしないし鈍くもなく操船しやすい船だということがすぐにわかった。
ワイト島西端にあるThe Needleという観光写真によく使われている岬まで行こうということになり、初日から観光旅行みたいでこれはいいと内心思いながら走らせた。しかし、風がどんどん強くなってきた。テリーからBea away(船首を風下に向けて)の指示。行き先を変更してメインランドのLymingtonへ向かうことになった。ジブセールをNo.3に変える作業が始まった。ワイルドジャイブしないようになるべく北よりに走らせているとバウで作業しているテリーが水深はどれくらいか聞いてくる。水深計を見て 5メートルと答えるともっと東よりに船首を向けろと言ってくる。ワイルドジャイブの可能性が増すのでまずいなとは思うが、水深計を見ていると浅くなる傾向だったので妥当な指示だと納得。テリーはこのあたりの水深を熟知しているようだ。風下に走らせながらゼノアからNo.3に交換し、さらにFirst Point reef(メインセールを小さくする)。前方に標識がいくつも見えてくる。港へ導く緑色と赤色の標識だ。その一番沖よりの物はずっと南にある。もっと南よりに走らせて最初の標識から入らないと座礁するのではないかと不安がよぎる。テリーに聞いてみると、このまま行けとの指示。水深が3,5メートルまで浅くなった。"Walk on by"の喫水は2,3メートルもある。キースが座礁しませんかとテリーに尋ねると「皆さんに航路とそうでない所の水深の違いを見てもらいためにここを走っているんですよ」とテリーが余裕の返事。まもなく航路の中に入ると水深4〜5メートルになった。ポート(左側)へターンして港へ船首を向けるが後方から数百トンクラスのフェリーがやはり港内へ船首を向けている。航路といっても数十メートルの幅しかない。フェリーに追いつかれるとまずいなと思いながら走らせていると、フェリーが速度を落としたようで距離は縮まらない。ホッとしていると今度は別のフェリーが港内から出てくるのが見えた。ウーン、これはまずい、どうしますかと聞くがテリーの答えは「そのまま航路に沿って行きなさい。」結局、2隻のフェリーとはそれぞれ10メートルくらいの距離ですれ違った。これが普通らしい。港内に入ってみるとヨットのマストがびっしり

                              漁船
Town Quay(町の波止場)につけようと言われるままに奥のほうへ進んでいくと漁船の船だまりもあったりして狭くなってくる。数10メートルはある波止場には先客のヨットが舫っていてぎりぎりのスペースしかないし移動しているヨットもあって混んでいた。180度回れと言われたが、あまりに狭いのでためらっているとテリーがスピンターンを教えてくれた。速度をあげてスタボー側へいっぱいに舵を切り、船が回り始めたらギアをバックに入れてキックの作用を利用しながらキールを中心にしてスピンさせ小さな回転半径で回る。

漁船よりヨットが多い

Lymingtonというこの港には漁船も20隻くらいとまっていたが、どれも25フィートくらいの小さなものばかりだった。ヨットの方が圧倒的に数が多くて漁船が隅のほうに押しやられているように見えた。日本とはまったく逆である。
出港する時には干潮になっていて航路から離れたところには潟が見えた。日本のように港といえばどこもかしこもコンクリートの岸壁にするというのではなく、不必要な部分は工事をせずに自然のまま残しているようだ。
このあと、まだ港から出ないうちにセールをあげようとテリーが言ったのには驚いた。ヘルムはエドが取っていたが定石どおりヨットを風上に向けながらセールをあげていたら必ず航路から外へ出てしまうだろう。すると風上に完全に向けないままセールをあげ始めた。必死にハリヤードを引いてセールをあげたが、案の定失速してブイに舫っている船にあたりそうになった。それでもテリーはさほどあわてた様子もなくエドに指示を出しながらなんとか回避し、すぐ私たちにNo.3をあげさせて帆走を始めた。少しでも早くセーリングを始めようというのがイギリス流なのだろうか。
港外へ出るとさきほど自分たちが走ってきた航路外の場所でヨットが帆をあげたまま座礁しているのが見えた。潮が引いて水深が浅くなったためだろう。
風が落ちてきたので、The Needleの近くまで行ったが浅瀬だらけの所だった。
鐘付きのブイが浮かんでいて波で揺れるたびにカンカン鳴っていた。霧が発生した時のことを考えているのだろうが音が小さいのでかなり近づかないと聞こえないだろう。ワイト島のYarmouthに入港したのが19時半。この時間ではまだ明るい。20時半ごろになってようやく夕方の光になる。こじんまりしたこの港ではポンツーンに舫ったが陸とつながっていないので上陸はできないのかと思っていたら小船による送迎サービスが行われていた。ハーバータクシーと呼ばれていてVHFで頼むことが出来る。ここでは往復で300円弱の料金だった。
テリーがつくった夕食を船内で食べてから皆でパブへ飲みに行った。ヨット関係の話ならともかく、雑談になるとまったく話しが理解できないのはいつもと同じだった。

24日
 雨、かなり寒い。皆が起きたのは8時ごろ。全員起きたところでシャワーに行こうということになり船をTown Quayへ移動した。地味な外見のクラブハウスでは2ポンド払えばトイレとシャワーが使える。




比較的新しい施設で、中はすごく清潔でシャワーの数も多い。イギリスでは朝シャワーを浴びるのが習慣なので利用者は多かった。コインランドリーもあるのには驚いた。実はキースはふだんヨットをこの港のポンツーンに泊めているのだが、料金は年8万円弱だという。シャワーのあと洗濯する人もいたりして出港は11時過ぎ。ナビゲーションの練習などしながら走る。雨が降っているうえに寒いがそこらじゅうでヨットが走っている。ヘルムを取っていると本土側にあるBeaulieu river 河口の標識をめざすよう言われる。最初は標識のトランシットを見ながら岸に90度に近い角度で入っていくが、その先がどうなっているのかわからない。沖から見えない港の入り口がどこかにあるのか、と思っていると海岸線と平行に西側に標識がずっと並んでいることがわかった。1`くらい先にヨットのマストが見えるあたりにマリーナがあるのだろう。航路の幅は30〜50mくらいだがエンジンは使わずに帆走していけとの指示。アビームで走れるからいいものの、自動車教習所でやらされたS字カーブを思い出した。この日はテリーの指示で途中でタックして航路を戻りカウズに帰った。
昼食後カウズを流れるメディナ川でポンツーンへの離発着の練習。潮が引いているため数ノットの流れと4〜5メートルの風がある中で行った。流れを利用してヨットを横滑りさせながらポンツーンへ着ける練習を前進、後進の両方でやった。近くにはアメリカズカップに出場するイギリスチームのベースがあり「阿修羅」が舫われていた。

夜間航海
夕食後、夜間航海をして対岸のハンブル港へ行くから航海計画を立てなさいという指示。このため、船内での食事を早く切り上げて3人で海図を見ながら検討を始めた。ソレント水道の中央近くには東西1マイル、南北0,5マイルの浅瀬があり、ただでさえ夜間航海はむつかしいというのに、テリーはその近くにある無灯火の浮標(航路標識)の近くを通り浅瀬を反時計方向に迂回していくようにと言う。いいかげんな計画を立てると座礁するので真剣にならざるをえない。結局、その標識に最も近い灯浮標から方位を測り、潮流の方向と速度のベクトルを計算に入れてヨットの進行方向を決定。ナビゲーションの計画をキースがテリーさんに説明してOKをもらい出航となった。
21時ごろにならないと暗くならないので出航はその時間になる。計画どおり無灯火の浮標を暗闇の中に見ながら浅瀬を迂回してソレント水道北側に出ることができてホッとしたのも束の間、目標にする予定の灯浮標が見つけられない。こんなはずはないと3人で必死にさがし数分かかってようやく見つけることができた。この時間の長く感じられたこと!これは背景にあるサウスハンプトンの街の灯りのせいで灯浮標の光が区別しづらくなっていたためだった。ハンブルハーバーも川を少し遡った所にあるため、指向灯の緑、白、赤の灯りを頼りに船首を河口へと向けていく。ずらりと並ぶ左舷、右舷の標識が見えてきてホッとした。桟橋につけてからは、この日もパブでビール。ステファニーはこれまで夜間航海の経験がなかったようで、すごいナビゲーションだったとしきりに感心していた。
25日
 疲れるせいか、夜はぐっすり寝られる。ここには公衆トイレがあるだけでシャワーはなかった。川の上流にもハーバーがいくつかあるそうで、キースは、この川に停泊しているヨットの数だけでも日本中のヨットの数より多いかもしれないよと言っていた。そんな話もあながちホラとも言えないくらいヨットだらけであった。
9時、およそ10マイル離れたポーツマス港向けて出航。ステファニーがテリーに今日は自分がナビゲーションをやりたいと申し出た。昨夜の航海を見ていて自分もやってみたくなったらしい。「今の進行方向は?速度は?」と船内からしきりに聞いてくる。
ポーツマスの付近にも浅瀬があるため、小型船の進入航路は規制されている。港の入り口にある大きな記念碑と後ろ側にあるビルのトランシットを利用して港口へ接近していく。
ここは昔からの軍港で今でも航空母艦などが停泊、そんなようすを見学してからハーバーに入った。全長50メートルくらいの緑色の船が舫われていて、そこがハーバーマスターの事務所兼シャワールームになっていた。シャワーを浴びてからまたコインランドリーを利用している人もあり出航したのは13時ごろ。

  灯台船を改造したクラブハウス

         砲台島


ポーツマス港沖には、港を防衛するために築かれた砲台島が4か所にある。どれもコンクリートでつくられた円筒形の構築物で、ちょっと不気味だ。風速7〜8メートルの風が吹く中、南へおよそ5マイルの快調なセーリング。ちょうど私が舵を取っていたが、やはり風がいい時に走るのは気分がいい。ベンブリッジという港に入るよう言われていたが、これがまたどこに入り口があるのやらわからない所で、ひたすら標識が示す曲がりくねった航路の中を走っていく。風向きが悪いので機走で進入した。港の入り口は20メートルくらいしかなかったが入ってみると池のように静かで広い所だった。以前は沼地だったが、掘って港にしたそうだ。陸とはつながっていないポンツーンに停泊して遅い昼食。

Evening Star of Beaulieu
15時半ごろ出航してカウズの北西にあるBeaulieu riverをめざすのでナビゲーションするように言われる。またタイダルダイヤモンドや潮汐表との格闘だ。船には慣れてきたので船酔いはないが、途中にタイダルダイヤモンドが三つもあるのでウンザリする。ようやく計算と作図から船の進行方向を決めてテリーに報告したのも束の間、風が変わったので変針すると言ってくる。どこを走っているのか、デッキにあがって確かめてからまた計算と作図のやり直し。いい風が吹いているのでヨットはバンバン走っているのに船内でナビゲーションをやらなきゃいけないのが恨めしい。1時間半くらいでBeaulieu河口のRaytheon航路標識に接近。オートパイロットのメーカーに同じ名前の会社があるが、ここからとったのだろうか。
ヨットが機走で川を遡り始めたのでナビゲーションから解放されて川の景色を眺める。ここも自然保護区になっていて鳥が多い。遠くの草地では馬が草を食んでいる。はじめ100メートルくらいはあった川幅が徐々に狭くなっていく。一番狭い所では数十メートルになった。両岸は潟である。堤防も護岸工事もない、自然そのままの潟であった。
水をかぶらない所は草がはえ、かぶるところは潟そのものだ。日本では、こんなに自然が残された川を見ることは今やむつかしい。でも役人は日本には急流が多くて災害がおきやすいから護岸工事が必要だと言うだろう。日本では防災が錦の御旗になっていて防災と言えば何でもやれるが、防災を口実に無用の工事をおこなって自然を壊している例もある。この川ではブイにつながれたヨットが上流までずっと視界の中にあった。干潮に近かったので水深はかなり浅くなり、私たちのヨットも川の中央付近で乗り上げたがすぐに走り出すことができた。ポンツーンに着いたのは18時ごろ、でも日が長いのでまだ十分に明るい。皆、ヨットをおりて歩いた。テリーの説明ではこのあたりでは昔、周辺の森から切り出した木材を使って帆船をつくっていたそうだ。その多くは軍艦として建造されポーツマスへ処女航海をしたらしい。一軒しかないパブへ入ろうとすると閉まっていたので、ワインを飲みながら船内でつくったシチューを食べた。この日のシチューはソーセージがいっぱい入っていて美味かった。

26日 
翌朝、近くの散歩道を歩いてみた。森の中に沼地や潟が点々とあり、早朝の光を反射してきれいだった。その光の中にヨットが舫われているという日本ではお目にかかれない光景に感動した。
10時前にポンツーンを離れ近くのパイルの間に舫う練習を始めた。木製のパイルに取り付けられている鉄の棒に舫いロープをつないで停泊するわけだが、これが以外にむつかしい。風下から近づき鉄棒にロープを通すのはヨットが走りながらなので大変だし、それがうまくいっても次は風上側のパイルに船足を落としながら接近し、ドンピシャで鉄棒に船首からの舫いロープを回さなければならない。パイルから離れすぎていれば手が届かないし、近づきすぎると衝突する。三人とも何回も失敗したあとにようやく成功。ここでテリーに言われたことはパイルにスターンが接近しすぎた場合はパイル側に舵を切れということだった。そうすれば船尾が反対側に振れてパイルから離れていく。


パイル付けの練習を終えて川を下る途中の景色にまたうっとり。見れば見るほど自然そのままの美しい川だった。
河口からソレント水道に出ると7〜8メートルの風が吹いていてNo.3だけで6ノットのスピードが出た。カウズの東側にある入り江で落水者救助の練習を始めたころには風速10メートル以上になり沖にはストームジブで走るヨットも見られた。
救助の練習はテリーが落水者に見立てたブイを海に落として、それを拾い上げるかたちで行う。艇長は落水を確認すると「Man overboard(落水者)」と叫びながらタックを始める。ジブセールはそのままにして、まずヒーブツーをこころみる。ヨットに行き足がついていてそれがうまくいかない場合はジブセールを降ろしながら、いったん落水者の風下側に回ってから再び救助に向かう。状況によってはエンジンも使用する。強風だったのでエンジンも使って行ったが、クルー役の時はジブセールを何回も降ろしたりあげたりして汗をかいた。
13時半ごろ、近くにアンカリングして昼食。午後は沖に出てナビゲーションの練習をおこない、18時ごろにカウズのハーバーに入ってこの日の練習は終わった。ポンツーンの反対側に泊まっていた木製のシックなモーターボートをふと見ると、船名がEvening Star of Beaulieu だった。きっとこのオーナーも、その川の美しさに惚れこんだ人なのだろう。

     寒さに強いエド




バリーと再会
27日
 今日はテリーが来れないので、代わりのインストラクターとしてアイランドヨットクラブの夕食会で会ったことがあるバリーが来た。8時半に出港しソレント水道対岸近くまで行って落水者の救助訓練を始めた。前日とはうってかわり東よりの弱い風だったので一応エンジンはかけるが帆走での救助訓練になった。落水者の風下側からアビーム(横風を受けて走ること)で近づいていき、ブームをゆるめてセールをバタつかせる。必要に応じてクルーが直接ブームを押してスピード調節する。落水者の完全な風下に近づいたら船首を風に立てて落水者の浮いているところで船足を止めて救助するという方法だった。バリーが言うには、救助方法にはこうしなければいけないといった決まりがあるわけではなく、どんな方法でも素早く適切に行えばRYAの試験官は評価するそうだ。
カウズの東にあるWooton creek付近でランニングフィックスの練習。これは一つの物標からの方位を2回測って船の位置を求める方法で、授業では教えられたが実際にやるのは初めてだった。ランニングフィックスには条件があって、船の進行方向が一定でログ(進んだ距離)がわからなければならない。GPSがなく沖に出ていて物標となるものが一つしかない時には役立つだろう。
アンカリングして昼食をとったあとはナビゲーションの練習をした。

  どこも港口の航路は狭い




16時半ごろにカウズに帰った。ステファニーとアンドリューがそれぞれのコースを終えたので下船した。2人とも日がたつにつれてヨットにも慣れ、セーリングするのに必要な基本的な技術を身につけたようだ。アンドリューにとっては5日間ヨットに乗り続けるということ自体が初めての経験だったわけで、それをやり遂げたというだけでも満足できるだろう。ヒールした(傾いた)デッキの上も何とか歩けるようになっていた。まったく初対面の人たちだったが協力しあって5日間一緒にセーリングを続けられたことが嬉しかった。

テリーが小太りの男性を連れてきて、試験の時にクルーとして使ってくれと言う。名前はトニーというが彼の話を聞いていてもさっぱりわからないので最初は英語じゃない、顔のせいもあってアラブ系の言葉じゃないかと思った。しかしキースやエドが英語で彼と話をしているところをみると、どうやら訛りが強い英語らしい。これまでも会話につい
ていくのが大変だったのに、試験を前に大変なことになったと内心ガックリきた。ここは被害を最小限にとどめようと、夕食に行ったパブでトニーに「I'm not good speaker in English.」と自己紹介。すると「大丈夫、あなたの英語は上手ですよ」とお世辞のあとにワイト島の南部にある町から来た、というような話を「英語」で話してくれた。これ以降、トニーは僕にはゆっくりていねいに話してくれるようになり最初の危惧は杞憂に終わった。
いよいよ明日はExamination,航海実技の試験だが、最初に思っていたようにいったんB&Bにもどってベッドでぐっすり休んでから、というわけにはいかなかった。実はRYAの試験官を翌日の朝、Hambleの波止場でピックアップすることになっていたのだ。

  アラブ系の?トニー

Hambleといえばソレント水道の対岸にありCowesから約6マイルの距離がある。朝になってから出発していたのでは間に合わないから夜のうちに行くことになった
僕は試験の課題として事前に与えられていた航海計画を片付けてしまうためにシャワーもあきらめて船内のチャートテーブルに向かった。二時間くらいチャートテーブルを独占したせいでキースが気分を悪くしたようだが、こちらには英語のハンディがあるので彼らの1,5倍くらいの時間が必要なのだ。振り返ってみると、そこのところを彼にもっと説明しておくべきだった。
出発の前にキースから「僕らはHambleに着いてから課題をやらなきゃいけない。だから舵はJunが取ってくださいよ」と言われたが、もちろん異存はない。3日前の講習で一度夜間航海しているところだから気分的には楽だった。
20時40分に出港し22時半に到着した。さすがにこの夜は誰もパブへは行かなかった。

Examination

29日
 
起きてから空を見ると曇りで風が強そう。午前8時半、ウオーザッシュの桟橋で試験官のマイクを乗せた。すごく明るそうな人でむこうから握手を求めてきた。海軍将校を退役し、今はマーケットリサーチの会社で営業部長をしている。実はここでもう一人、女性がヨットに乗り込んだ。レイチェルといって20代の人だがマイクさんの秘書をしている。
彼女は静岡県の高校に英語の講師として二年間滞在したことがあり日本語が話せるのだ。テリーが僕のために手配しておいてくれたのだった。

RYA試験官 マイク

通訳をしてくれたレイチェル

彼女はこの数年、日本語を話す機会がなくてかなり忘れているからと申し訳なさそうに言ったが、こちらにとっては少しでも日本語が話せるから気持ちが楽になった。
マイクから試験開始前の簡単な説明があり、「リラックスしてくださいね、途中で私がノートに何か書き込んでいるところを見かけると思いますが、全部ベリーグッドと書いているんですから安心してください」と緊張をほぐしてくれた。それがすむと、さっそく試験が始まった。私たち3人の受験生に対して別々の質問をしてくる。僕に対しては船内の消火器の設置場所と種類、それにマリントイレのコックの開閉について説明してくださいというものだった。
出港の時のスキッパーはキース、教えられたとおりスプリングラインを使って船首を桟橋から離して出港。ソレント水道で行われるレースに参加するクルーザーが続々と川を下っていた。浅瀬に挟まれた狭い航路から出ると南西の風が6〜7メートル吹いていた。ここで突然マイクがブイを海に投げ入れた、落水者救助だ。定石どおりにまずヒーブツーを試みるが落水者に近づくことができない。クルー役の私たちが船首に走ってNo.3を降ろす。
ふと顔をあげると後ろを走っていたヨットのデッキではブイと私たちのヨットを避けようとしてクルーたちが走り回っていた。巧みに私たちをよけたそのヨットは何事もなかったかのようにレース海面を目指していった。自分達の進路をふさぐように落水者救助のマニューバーを行った私たちのヨットに対して罵声の一つでも浴びせて行くのではないかと思ったが、まったくそんな様子はなかった。私たちのヨットが何をしているのか、完全にわかっていたようだ。

ソレント水道に入ってから風が8〜10メートルにあがった。セールはNo.3にセカンドポイントリーフだが6〜7ノットで走った。エドはナビゲーションの課題を与えられて船内で海図を調べている。僕はクルー役をしていてセールのトリムも終わって一息つこうかと思っていたら、マイクから「あの貨物船のブリッジの上には円筒形のものが付けられていますが何を意味しますか。」と質問された。咄嗟のことで度忘れしてしまい答えが出てこない。しばらく待ってくれたが「喫水制限船ですね。」と先に言われてしまい、これは減点されるなと思った。ヨットがカウズの港外まで来るとスキッパーをしていたエドにブイに係留するように指示が出た。ブイには黄色いものと白いものがありエドは黄色いブイに着けようとした。
潮流が1〜2ノットくらいありブイのまわりは波立っているうえ、風向が潮流とは90度ちかく異なる。エドが徐々に近づけていき、私たちが何とかロープをかけようとするが不規則な波がくるのでうまくいかない。そのうちにブイが波にあおられてヨットの船体にボコボコあたり始めた。ブイにあたるたびに船体に窪みができるところを見ると黄色のブイは鉄製らしい。オーナーのキースが心配そうに見に来た。しかしブイにロープをかけさえすればヨットが離れるので大丈夫だ。次は僕がやることになった。白色と黄色、どちらのブイに着けますかとマイクさんに聞くと「白いブイの方がオーナーは喜ぶでしょうね」と言うので白いブイを目指した。
もちろん帆走だが、これが一発でうまくいった。まぐれもあるだろうが、長崎で条件の悪い所に自分のヨットを泊めているので以前よりはうまくなっているのかもしれない。
このあとアンカリングとポンツーンへの横付け、発進をおこなってから昼食のためにポンツーンに横付けして停泊。やれやれ、これで一段落着いたと船内で座っているとマイクからライフラフトについての質問。エドやキースには安全備品であるオレンジ色の自己発煙信号や信号紅炎は、どんな場合に使うのかといった質問だった。一通り質問が終わったあとで、実際に使う場合には風下側にそれらを持った腕を伸ばしたうえで、顔を反対側に向けてから点火するようにとの注意があった。またライフラフトの舫い綱は、船が沈み始めてもすぐに引き込まれないようになるべく長くとらなければいけないとの注意もあって、このあたりは試験というより講習のような雰囲気だった。
トニーがサンドイッチを作ってくれたが、僕にはナビゲーションの課題が与えられたので海図を見ながら食べた。またタイダルダイヤモンドに手を焼いていると「あとどれくらいでできますか」と試験官が聞いてくる。「あと十分です。」と答えてから必死でやって何とか間に合わせた。課題はソレント水道の中央にある例の浅瀬を回る航海計画を立てよというものだった。最終的にはカウズにある発電所の二本の煙突のトランシットを利用しながら浅瀬を避けカウズに戻ってくることにした。変針する場所と針路を書き入れたノートをポケットに入れて自分で舵を取って出港した。
港の出口に近づくと続々とクルーザーが入港してくる。数が多いので航路の外側を走らなければならないほどだった。レイチェルがレースが中止になったらしいと言っている。案の定、港を出ると波が高い。風は15メートルくらいは吹いている。ソレント水道ではめずらしく他に走っているヨットが数隻しか見えなかった。メインセールはあげずにNo3だけで走るが7ノット以上出る。沖に出るにつれ、波が高くなり一番大きなものは3〜4メートルはあった。しかし、ウオークオンバイは波に振られることもなく安定した走りをしてくれた。浅瀬の北側を走りながら2本の煙突が重なったところで変針したが、マイクから早すぎると言われて針路を修正した。トランシットを理解していないと思われたのか、カウズ沖に戻ってからもう一度同じコースを回るように言われた。今度はナビゲーションに徹することにしてレイチェルに舵を頼んだ。依然として風速10メートルくらい吹いていたが彼女は慣れたものである。大学時代に海軍がおこなう海洋講習に参加したことがあるそうで、航海についての知識は一通り持っているというのだから頼もしい。今度は煙突が重なって見えたあと十分に間をおいてから変針。マイクから「それでいいですよ」と言われて一安心。ほかの二人も別々のナビゲーションをおこなったあと、カウズの近くに戻って船内で夕食をとった。
次は夜間航海だが20時半をすぎないと暗くならないので、しばらくはのんびりできた。レイチェルもだいぶ日本語を思い出してきたので、今の仕事や日本にいたころの話などができた。雑談をしただけだが、日本語が話せることで気分転換にもなり、リラックスできた。
夜間航海のコースはカウズから今朝出港したウオーザッシュまでだが、マイクが指示する航路標識の近くを通過しなければいけないので、かなりの大回りになる。

          夜間航海に出航

私たち3人にそれぞれの担当するコースが指示された。幸いなことに、僕が指示されたのはソレント水道の北側からハンブル川に入る部分で、ここは昨晩も通り標識や灯台の位置をだいたい覚えている。一番手はエド、カウズの北西にあるレイシオンの航路標識をめざす。風は南西の風が8メートルくらい吹いていて、No3とセカンドリーフしたメインセールで快調に走る。
途中までクルー役をしていたが、ナビゲーションを準備するために船内に入り海図を調べ始めた。最近、老眼気味になり暗い所で小さな字を読むときには眼鏡が必要になった。ずっと眼鏡とは縁のない生活をしてきたのでかけたりはずしたりがわずらわしいのだが、見えないものはしょうがない。OとQなど区別しにくい文字の判読に苦労してレイチェルに降りて来てもらい海図を見ていた時だった。ガン、ガンという音がしてヨットが振動した。波をたたいている音にしては大きすぎる。コックピットではマイクさんが「ベアして針路を変えて」と言っている。浅瀬にキールがヒットしたらしい。幸いすぐに深い方へ変針したので大事にはいたらなかったが、あとで聞いてみると舵を取っていた人の操船ミスらしい。ソレント水道では岸よりには必ず浅瀬があるのでちょっとしたミスが事故につながる。キースのナビゲーションが終わり、僕の番が回ってきた。暗い所でも見やすいように大きな文字で航路標識の名称と進行方向を示す数字をノートに書き込んである。そのノートを必要な時にポケットから出して見ては舵を取っている人に指示を出す。22時ごろになっていたが依然として風は8〜10メートル吹いていてヨットは7ノット前後のスピードで走っているので、航路標識の間隔が短い所では次々に指示を出さなければならなかった。少し余裕がある時にはマイクが貨物船を指さして「あの灯火は何を意味しますか」と質問してきたりするのでノンビリしている時間はない。河口にある指向灯が見え始めた時、マイクが「どこまで帆走して行きますか」と聞いてきた。講習の中では、桟橋のかなり近くまで帆走していたが、あらためて質問されると考えてしまった。マイクは「今晩は風もいいし波も小さいでしょう」とうながすように聞いてくるので「桟橋の近くまで帆走で行きます」と答えると「OK」だった。少しでも長く帆走していこうというイギリス流セーリングエンジョイ精神はRYA試験官も認めるところのものだったのだ。                                              
ウオーザッシュの桟橋に停泊した船内でマイクから3人に合格が告げられた。レイチェルが近くのパブで仕入れてきたシャンペンで乾杯した。最後にマイクが僕らの評価をした。僕に対しては「一歩引いてクルーに仕事を指示してヨットを動かすことをこころがけるように」とのことであった。ふだんシングルハンドでセーリングすることが多いので、どうしても自分で何でもやろうとしてしまう傾向があるのは確かだ。
マイクとレイチェルがヨットを降りたのは23時を回っていた。試験官の意向によっては翌朝まで試験をやることもあるというから順調に終わったほうだろう。

 コースタルスキッパー、同期の3人



まとめ
 RYAの講習と試験の期間を通じて学んだことは意外にも単純だった。セーリングは自分の体を動かして自然の中を駆けるスポーツであるということ。積極的に自分からかかわっていけば、楽しみは倍加する。ヨットはあくまでもセーリングの道具であるから動かさなければ意味はない。

イギリスへ向かう機内で乗り合わせた日本人に、ヨットスクールに入ることを話すと胡散臭そうな目で見られた。またカウズで偶然会った日本人には「すごいお金持ちですね」と言われた。こちらは格安航空券を買って宿泊費も切り詰めていたのだが。この二つの出来事は今の日本におけるヨットというものの捉え方を象徴してはいないだろうか。ヨットといえば金持ちと普通ではない人達の持ち物。たとえばバブルのあと全国に次々にできた豪華マリーナ、長崎にもあるがその多くがデラックスなクラブハウスを併設している。長崎のマリーナにはなぜか赤いタワーがシンボルの南欧風ビルがある。ヨットに対する過大な金、金の期待が、そんな施設をつくらせたのだろう。日本ではヨット、とくにクルーザーはまったくスポーツとして認識されていない。
一方、The home of the world yachting と呼ばれるカウズ周辺のヨットハーバーには、これほど華美な施設はなかった。どこのクラブハウスも外観は地味だが中に入ってみるとシャワーやトイレ、コインランドリーが完備し、あくまでもセーリングでかいた汗を流し次のセーリングに備えるための施設となっている。高級レストランや結婚式場などが併設されている所など一つもなかった。

       ハンブル川

沖止めした時に便利なハーバータクシー

日本の発想ではヨットを集めれば金が湧いてくるとでもいうところだろうか。青空をバックに白い帆のヨットがゆったりと動く、デッキには冷えたワインと美女。こんな日本人が描くヨットのイメージに対して、防寒着を着込み転落防止用ハーネスを付けた男女がウィンチを回し、デッキの上を走り回る、これが僕が見てきたイギリスのヨットの現実である。
これだけのヨットに対するイメージの落差を埋めるのは並大抵のことではないだろう。ほとんどの日本人の先入観念として完璧に定着してしまった、ヨット=金持ちの道楽、あるいは一部の冒険家のものというイメージ。これからは普通の人達が普通に楽しめるスポーツとして少しずつでも広めていくしかないだろう。

参考
RYAの講習にはヨットとパワーボートの2種類がある。
ヨットでは初心者からCompetent Crew, Day Skipper, Coasatal Skipper, Yachtmaster Offshore,
Yachtmaster Ocean 以上5段階の講習がおこなわれている。Coasatal Skipper 以上は受講前に一定の航海経歴が必要で、学科と実技の講習プラス試験がある。

今回かかった費用は、Go Sail の講習料金とRYAの受験料をあわせて14万5千円。
ちなみに去年、長崎で1級小型船舶操縦士の短縮コース(4級免許保持者対象)を受けた時の費用は16万円以上かかった。
RYA日記