ホバート
ホバートはタスマニア州の州都で人口は約20万人。イギリスによる町の建設が始まったのは1804年と、それほど昔のことでもない。高い山が南西の強風を防ぐので、いい港がある。
M2HとS2Hをフィニッシュしたヨットが係留したところは、ホバートの旧港にあたるところで、かっての倉庫などを改築したホテルやイベント会場のまわりに、100艇以上のヨットが係留して、にぎやかだった。
M2H (6)
今回で35回目となったM2Hだが、前回までのコースはポートフィリップからバス海峡に出て、タスマニアの西海岸をめざして南下し、タスマニア最南端を北東に回り込んだあとホバートへ突っ込んでいくコースだった。
今回は、オーストラリアで初の外洋ヨットレースとしておこなわれたラダーカップ(ポートフィリップからタスマニアの北海岸にあるロンチェストンまで196マイルのレースだった)からちょうど100周年ということを記念して、バス海峡をロンチェストンめざして走り、そのあと東海岸を南下するコースが初めて採用された。
12月27日、ポートフィリップをスタートしたのは、前日にシドニーをスタートしたS2Hと同数の82艇のヨットだった。100年前のレース同様、ロンチェストンでレースを終えてもよいことになっていたが、61艇が引き続きホバートをめざした。
タスマニアの北海岸から東海岸にかけては島も多く、暗礁も点在する。ヨットのスピードが増せば増すほど、海図から目を離せなくなるコースだが、今回はレース中の最大風速が25ノットと、このあたりとしてはかなりおとなしいコンディションに終始した。
天候は、ここまでの写真でわかるように、昼間は上半身裸になってもいいくらい暑くなるかと思えば、夜間はグッと冷え込み冬用の帽子にブーツが必要になるほどで、慣れるまで大変だった。
M2H (5)
タスマニアは北海道より少し大きな島だが、人口は北海道の560万人に対してわずか50万人である。このため、手付かずの自然が残り、島内のかなりの面積が国立公園や世界自然遺産に指定されている。最南端の岬は南緯43度38分代で、その南にある陸地は、もう南極しかない。
M2Hのあと、西海岸を回航する機会にめぐまれたので、タスマニアの自然についての紹介は後日するとして、今回はYOKOから見たタスマニアを少しだけお見せしよう。
イルカはポートフィリップの湾内にもいて珍しくはないのだが、オーストラリアではイルカが幸運を持ってきてくれると言われているから、近くにあらわれると皆大喜びする。アザラシも数回姿を見せ、ジャンプしながらついて来てくれたが、これには僕が大喜びした。あの丸っこくて大きな目のある顔はカワイイ。動きが速く、撮れなかったのが残念。
M2H (4)
YOKOはオーナーのロビンとともに、毎年ORCVが行う8回の外洋レースすべてに参加している。そのほかにも南太平洋へセーリングしたり、メル阪に参加したりしているから、その航海距離は14万マイルにも達するという。ロビンは、今回でM2H参加が26回目にもなるベテラン中のベテランだ。
クルーの中には、M2Hに15回以上参加したことのある人が3人いて、そのうち1人は女性だ。パトリシアは今回で16回目になったが、ナビゲーターをしている。今回は、3人の女性クルーを紹介しよう。
M2H (3)
スタートして1時間後にはヘッドの真ん中あたりにいた。風は少し強くなったが、潮が止まっているから穏やかなものだった。スタボーで風上一杯にのぼっていくが、東南東へ進むのがやっとだった。オーストラリアでは、セーリングしている時にはクローズホールドとは言わずにハードオンと言う。
前回、写真の説明で「元メルボルン市長」のトレバーさんを紹介したが、ご本人いわく「メル阪の言いだしっぺ」だそうだ。以前、市長を勤められていた時、姉妹都市の大阪市長から何か記念になるイベントができないかと相談され、即座にヨットレースを提案したという。大阪市長も最初は首をひねっていたが、翌朝には「スポンサーが見つかりました、やりましょう」との電話が入り、今度はトレバーさんが首をひねることになった。1980年代半ばの話しで、景気も絶好調のころだからそんなこともあったんだろうと、今や遠い昔話のように聞こえる。
それにしても、元市長が外洋ヨットレースでヘルムを取っているというのは、日本ではちょっとありえないシチュエーションだ。それにこの方、メル阪を提案したことからもわかるようにかなりのヨットキチ(失礼)で、M2H参加も一度や二度ではない。ナント27回も参加しているというから、すごい!
