パラオの中心、コロール

人口約2万人のパラオ共和国、その半分以上の人たちが住んでいるのがコロール島です。 20100619-IMG_0033s.jpg  

グアム島の人口が約17万人で、年間の観光客数が100万人を超えるという数字に対して、パラオの2万人という人口と観光客数が年間8万人という数字を紹介すれば、この国がいかに小さいかが実感していただけるでしょう。かなり田舎の島ということになります。大きな建物はホテルくらいのものです。


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第一次大戦で敗戦国となったドイツから奪うようなかたちでパラオの支配者となった日本は、「世界一の神の国」という独特の世界観からここでも日本式の教育を徹底しました。それで、昭和20年までに小学校教育を受けた人たちの中には今でも日本語を話す人がいます。しかし、戦後は新たな支配者となったアメリカの影響がどんどん強くなりました。

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アメリカから供与されたスクールバスだと思いますが、何台も見かけました。教育、生活などアメリカナイズの方向へ進んでいるようです。

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現在は裁判所として使われている建物ですが、もとは日本が南洋庁パラオ支庁という役所を入れるために建てた建物です。南洋庁はサイパン、ヤップ、トラック、ポナペ、ヤルートなどの島々を支配、管理するための役所でした。

ダイバーが聞いたら、なんでそんなにいい島をアメリカに渡してしまったんだ、日本の領土にしておいたら今でもパスポートを持たずに行けたのに、と言うかもしれませんが、ここで思い出してほしいのは日本が戦争に負けた国だということです。

コロールには支庁だけではなく南洋庁の本庁も置かれていました。このあたりの島々を治める総元締めの役所がここにあった、つまり南洋の首都だったわけです。

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昭和19年、パラオに住む日本人は約25000人と、現地の人たちの人口6500人を大きく上回っていました。さらに日本軍将兵が約30000人もいたのだから、もともと小規模な農業と漁業しかなかったパラオにとっては大変なことになったのです。

昭和19年2月にはトラック諸島の連合艦隊基地が爆撃で壊滅し、武蔵を始めとする連合艦隊がパラオに逃げてきます。しかし、ここもあぶないということで艦隊が去った直後の3月下旬、約300機による大規模なコロール爆撃がありました。

コロールには、日本帝国の栄華を逆説的に見せてくれるものが、今でもさりげなく残っています。これは野球場の裏で見かけましたが、防空壕と思われます。日本の官庁関係の建物や施設が集中していた地区です。

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同じく野球場の裏にあった戦車。米軍のものかと思っていましたが帰ってから調べると、日本海軍陸戦隊の水陸両用戦車でした。

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後ろ側には、小さな舵のようなものが2枚ありました。海上ではプロペラを回して走ったということですが、かなりの重量があるためツインラダーにして操縦性をよくしたのではないでしょうか。ラダーの上の箱状のものはフロートらしいのですが、その上には対空機関砲が乗っています。右側の舵の後ろに転がっている丸いものはヤシの実で、戦車とは関係ありません。

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パラオの集落ごとにあったという建物、バイ。急傾斜の屋根を持ち、奥行きが20mくらいあります。説明書きによると、長老たちの集会所といったところか。国立博物館にて。

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日本とはかなり違う習慣や価値観があるように感じます。

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外洋航海用カヌー。かなり重そうでした。

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わけがわからない写真ですが、カヌーのアウトリガーを取り付ける部分、かなりゴツイつくりです。ロープは椰子の繊維を撚って作っていたそうですが、化学繊維の普及でその伝統もすたれたとか。

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国立博物館屋外には日本軍の兵器も展示。館内には日本軍人に耳が聞こえなくなるまでビンタをはられたとか、けられたとか、アジアのどこでも見られる証言や日本人が建てた建物の模型なども見られます。

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アリンガマイスという船名の外洋航海カヌー。くわしいことはわかりませんが、パラオに停泊していました。パラオの大学が購入したという話もあります。日本ではホクレアという外洋カヌーが知られていますが、形はよく似ているように思えます。

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ヤップの伝統的航海術を検証し、現代に復活させようとしたのがホクレアの航海だったと思いますが、同じような目的でつくられたのかもしれません。船体はFRPでした。太平洋の島々では、自分たちのアイイデンティティを守り育てていこうという機運があることは確かなようですが、それがどれくらいの力になっているのか、今回の旅ではわかりませんでした。

2010年06月20日:GeneralSalaku

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