パラオのペリリュー②

ジャングルを歩き、日本軍が最後まで陣地にしていた洞窟まで行きました。 20100627-IMG_0299s.jpg
パンの木の実
 

パンの木といえばキャプテン ブライを思い出す。乗組員に反乱をおこされ、船から小船で追い出されたイギリス海軍の艦長だ。西インド諸島の奴隷に食わせるため、タヒチからパンの木の苗を運んでいる最中だった。一緒に追い出された18人とともに、小船で41日間航海してチモール島に到達。イギリスに帰って反乱を報告し、海軍が追跡隊を送りほとんどの反乱者を逮捕してイギリスに連れ帰った。この事件が起こったのは1790年前後で、当然すべてはセーリングネイビー・帆船の軍艦の上でのことだ。


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戦争博物館
 

フリンダースという、やはりイギリス海軍士官でオーストラリア大陸の東海岸を測量したことで有名な人がいる。グレ-トバリアリーフで座礁したが、小船でシドニーまで救援を求めに行き、艦と乗員を救った。こんな話しは他にもあって、当時のイギリスの船乗りたちのド根性ぶりを教えてくれる。

パンの木ははじめて見たが実はもっと大きくなり、揚げて食えばおいしいそうだ。この建物は日本海軍の魚雷庫で、艦砲だろうか直撃弾を受けた跡がある。その大きな穴をうまく窓でふさぎ、不謹慎な表現ながらモダンアートのような外観になっている。今は戦争博物館となっていて、武器や砲弾などが展示されている。中の撮影は禁止だった。

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展示物の中には CERTIFICATION というタイトルの狩猟認証状があった。「Jap Snake を好きなだけ撃ち殺すことを許可する」というもので、翻訳すれば「日本のヘビ野郎殺戮を認める許可証」となる。米軍の事務部門のヒマな連中が作ったものだろうが、ご丁寧にも、「Jap Snakeはしつこいから気をつけろ」とかの注意書きまである。博物館に何回も来ているはずの日本人ガイドでさえ「こんなものは取り外してほしい」と苦々しい表情で言っていたが、当時の米軍の日本人に対する感情を象徴している格好の資料ではある。

 

ペリリュー島の北側には海抜60mを最高とする「山岳地帯」があり、日本軍の司令部壕があった。ガイドの話しでは、一般的にはこの鎮魂碑のある壕がその壕であるように思われているが、実際にはさらに山の中に入ったところに司令部壕はあったという。

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整地された道から谷間のジャングルの中に入ると高い木が鬱蒼として、 たちまち暗くなった。。わずかに人が歩いて草を倒した跡があるが、先頭を歩くガイドを見失うと迷子になりかねないので懸命について行く。その時突然、前方から「バンザイ!」と叫ぶ声が聞こえた。まさか?日本兵の亡霊か?

一瞬の静寂のあと、ガイド氏の笑い声が聞こえた。追いつくと、この写真の連中がいた。イギリスのNGO Cleared Ground Demining  のスタッフ、スティーブンスさんたちだとガイドから紹介された。パラオ政府からの依頼で、不発弾の処理をしているという。

 

戦争から半世紀以上もたっているのに、いまだに不発弾があるとは驚いてしまった。それだけ膨大な数の砲弾や爆弾が使われたということだろう。それにしても、悪い冗談はやめてほしい。捕虜になってはいけないと教え込まれていた日本兵たちは、追い詰められると自殺的なバンザイ突撃をして死んでいったのだ。

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おそらく、89式擲弾筒(できだんとう)の砲身部分だろう。日本陸軍歩兵の携行兵器で、爆発すると鉄の破片を撒き散らし半径10m以内の人を殺傷する榴弾を100m以上飛ばすことができた。スティーブンスさんの右手のあたりまでの長さがあったはずだ。彼はイギリス軍の元軍人で、兵器にはくわしい。この日は軽装だったが、不発弾を集めて爆破する時には、防護服やヘルメットを着けて作業するそうだ。

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手前は迫撃砲弾の一部、小さいのが擲弾筒の榴弾だと思う。このあたりには、こんなものがゴロゴロしていた。標高こそ60mと低いが、針の山のような地形が続き洞窟も多いので、ここに潜んだ日本軍を米軍は攻めあぐね、一掃できたのは上陸から2ヵ月以上たってからだった。

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信管と火薬を抜かれた爆弾。不発弾だったのだろう。パラオ政府は、これら戦争遺品や遺骨を移動させたり持ち去るのを禁じている。

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最終的な日本軍司令部の洞窟があったのはこの奥で、日本軍は大山と呼んでいた。写真のような高さ20mくらいの針のようにそびえる山々に囲まれた洞窟だった。下から上っていくだけでも大変だし、まわりの洞窟には日本兵が潜み撃ってくるから簡単には落とせなかったのだろう。

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自然の洞窟をさらに掘り下げたのかもしれない。最下部が、司令官と参謀の執務室となっていたらしい。非常に固い岩なので爆撃にも耐えた。誰が供えたのか、造花が2輪置いてあった。

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壕の入り口付近にあった水筒と防毒面のフィルター。水筒は踏み潰されている。米兵は水筒が落ちているのを見つけると、撃って穴をあけたり踏み潰したりして、日本兵が使えないようにした。日本軍の防毒フィルターは、あちこちに落ちているのを見た。地下壕にこもる日本軍がガス攻撃を警戒したせいだろうが、米軍は火炎放射器やガソリンを流し込んで焼き殺す方法をとった。

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司令部壕には、スティーブンスさんの家族や友人たちも訪れていた。トム・ハンクスとスピルバーグがプロデューサーをした映画「The Pacific」を観て、ペリリューに来る西洋人たちが増えているという。You Tube で一部を見られる。かなり迫力があり、リアルな映画だ。2人のプロデューサーの話しが終わると、画面は1944年9月15日のペリリュー上陸寸前の米上陸用舟艇の船内になる。まるで自分がその場にいるような緊張感に満ちた映像だ。

ペリリュー島の南端の近くにサウスドックという泊地があり、ヨットが2隻アンカリングしていた。うち1隻はオーストラリアのブリズベーンから来たそうで、司令部壕で会った人たちもそのグループらしかった。

2010年06月28日:GeneralSalaku

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