八代海へ行く
2001年1月31日〜2月6日

 私が住んでいる長崎県の海では、冬の間季節風のせいで波の高さが2メートル前後になることがよくある。それにくらべて、まわりを島で囲まれた熊本県の八代海は冬もおだやかでクルージングしやすいのではないかと以前から思っていた。それを確かめようと愛艇「さらく」に一人乗り、出かけた。


1月31日 曇り
13時に長崎市 小江出港。野母崎沖では南西の風、風力3〜4。17時半、脇岬港に入りコンクリート製漁礁を載せた台船に舫う。漁船の出入りもほとんどなく静かだった。夜、雨が降った。航行距離18マイル。

2月1日 小雨のち曇り
5時半出港。向い風を予想していたが北東の風だったのですぐにセールアップ。風力3。
進行方向に四季咲岬灯台の光が見えた。早崎瀬戸にある五通礁の西では風が北に振れて風力5まであがる。メインはフルのままでジブファーラーを小さくして走ったがかなりヒール。しかし、タックなしで潮止まりの瀬戸を抜けることができた。
多少、雨は降っていてもよく走るから苦にはならない。口之津港沖あたりから湯島が見え始めた。湯島漁港沖は20ノットちかく吹いていてメインセールを降ろすのに一苦労した。漁港の外にあるポンツーンに泊めた。

「アコウの島」
湯島の家々は斜面にへばりつくようにして建てられていて昔からの漁師の集落の面影を残している。路地に入るとすぐにきつい階段が始まる。
家々の間から、また石垣の上から空高く伸びているのがアコウの木である。巨木が多い。幹がからまったような独特な姿をしている。枝や幹が四方八方へどんどん伸びるので、狭い島ではさぞかしじゃまになるだろうと思うがあちこちにあるのだ。夏場にはさぞかし気持ちのいい木陰をつくるのだろう。ブランコが吊り下げられた木もあった。



猫の姿をよく見かけた。     
漁の餌にするサバを運んでいたおばさん
がちょっと目を離した隙に、近くにいた猫がさっそく一匹くわえて持って行ってしまった。僕の旧式のデジカメでは撮れない早業だった。

最近買ったサーモ鍋で初めて米を炊いた。ちょっとやわらかく炊きすぎたが、ヨットの中で温かい飯が食べられるのだから言うことはない。おかずは猫に魚を持って行かれたおばさんからもらったサバ。つまり猫といっしょ。

天草、島原の乱では刀、槍などの武器をこの島でつくったといい、鍛冶職人が使った石製の水貯めがあったり、キリシタン墓碑があったりする。
キリシタン大名の高山右近は秀吉によって畿内から追放されたが小西行長がこの島に一時期住まわせたことがあるそうだ。しかし、高山右近は1614年マニラに追放され翌年そこで死亡している。
航行距離 28マイル

2月2日 晴
 10時出港、北東・風力5。ツーポンリーフ、時々波しぶきをかぶりながら走った。天草2号橋をくぐって八代海へ出た。風力は3〜4に落ちたが波が小さいから気持ち良く走った。
八代海の真中にある柴島の西でうたせ船を2隻見つけた。風が強いので帆を半分くらいしかあげていなかった。うたせ船もリーフするということを初めて知った。この漁の方法だと波を横から受けることになるが、それができるのも波が小さい八代海ならではのことだ。
計石漁港の漁協前ポンツーンに泊めて、近くの温泉に行った。源泉は岸から二百メートルくらい沖合いにあるそうで、飲んでみるとなるほど硫黄と海水がまじったような不思議な味がした。
サンマの缶詰をおかずに夕食を終えたころ、うたせ船が帰ってきた。どんな魚を取っているのかのぞきに行ってみた。エビが2種類、クルマエビに似たやつとアシアカエビという体全体がピンク色したやつ。両親と船に乗っているという二十代の青年が「食べなせえ」とエビ3匹と貝をくれた。アシアカエビは刺身にすると甘味があって美味かった。ニシガイはつぼ焼きにすると身は小さいがやわらかかった。
クルマエビは翌朝、塩焼きにして食べた。久しぶりに新鮮なエビを食べた。
航走距離・25マイル

2月3日 晴
未明冷え込む。船内で0度、ポンツーンが凍ってツルツルすべった。早朝の漁から帰ってきた漁船がナマコやチヌを水揚げしていた。
海図を慎重に見て港のすぐ外にある瀬の近くを通過。北東、風力4〜5。
沖ではうたせ船2隻が操業していたが、昨日の船よりさらに帆を小さくしていた。水俣市の湯の児漁港をめざしたが場所がわからず、モーターボートで釣りをしていた人に聞いてようやくわかった。
想像していたより小さな港でポンツーンはあるにはあるが木製の古い物だった。
横付けすると船体が風で押しつけられてミシミシと鳴った。
バスに乗って水俣病資料館へ行った。親切な運転手さんで停留所を通り越して資料館に近いところで降ろしてくれた。水俣湾はほとんど埋め立てられてしまっていた。埋立地には公園やスポーツ施設がつくられていたが、過去を海の底へ塗りこめることはできない。資料館で見た四十年前の少女の写真、今も存命ならば五十歳くらいになる。湯の児周辺には水俣病の患者のための施設がいくつかある。


2月4日 雨
5時に起きて風のようすをみた。強風が吹きつづけていたらポンツーンのアンカーロープにキールが引っかかるので出港できないかもしれなかった。幸い、風が弱まっていて大丈夫だった。6時出港。沖に出ると北東の風が強くなった。
今日も2ポンリーフのまま。御所浦島南端にある元の尻灯台が見えるだろうと思っていたが、すぐ近くに行くまで見えなかった。斜面の中間にあるため北側と東側に死角があるのに気がつかなかった。ヨット・モーターボート用参考図には、灯台のこうした情報までは書かれていないことを初めて知った。
御所浦島を回りこむと波がなくなり上りいっぱいで走れた。横島瀬戸を通ったあとセールを降ろし船首を本渡瀬戸へ向けた。瀬戸は幅が数十メートルあるが、ちょうど干潮時に通過したので端の方に浅瀬があるのが見えた。フェリーも通るようだから満潮時のすれ違いには気をつけないといけない。
昇降式の歩道橋に近づくとスーっと橋が上がり始めた。係りの人がいて操作してくれる。電光掲示板が付いていて高さを表示しながら上がっていく。H.W.L.17メートルまで上げてくれた。おそらく最高の高さだろう。

10時、本渡港に出た。北東が4吹いていて上りで口之津へ向かう。漁師が入れた旗がそこらじゅうにあり避けながら走らなくてはならなかった。
12時過ぎ口之津港の一番奥にあるポンツーンに着けた。近くにスーパーがあるうえ、目の前にお酒が飲める店もある。
昨日からの航走距離38マイル。去年5月にGPSのログ計が電池切れでゼロになって以来、この日で1007,8マイルとなった。

2月5日 曇
7時半に出港し早崎瀬戸を連れ潮で通過。機走でも7ノット前後出た。風は北から北東に変わり2〜4。1ポンリーフにしてクオータリーで走る。
野母崎をすぎてから機帆走にする。15時45分、長崎市の 小江泊地に帰港した。
今航海の航走距離、148,4マイル。

この航海では北東から北の風が多かったが、思っていたとおり八代海は風が吹くわりには波が小さかった。湯島やうたせ船など見るべき所もあるうえに温泉にも入れる。また島や岩礁も点在しナビゲーションの練習にもなる。冬場のクルージングコースとしては絶好ではないだろうか。
このセーリングではヨット逍遥のホームページにある
天草諸島クルージングガイドを参考にさせてもらいま
した。   
            
              口之津港